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アネモメトリ -風の手帖-

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#14
2014.02

ひらかれた、豊かな<場>をつくるために

前編 京都・Social Kitchen
6)S・Kで育つ2 ワーキング・グループ

「ワーキング・グループ」の活動は、東日本大震災をきっかけに始まった。あるテーマのもとにひとが集まり、みんなでそのテーマついての企画やアイデアを考え、実践していく、というやりかた。それも一度かぎりのイベントをやっておしまい、ではなくて、1年くらいの期間、毎週1回から月2回くらいのペースで、ゆっくり継続的に活動を続けていくことを考えた。“イメージとしては部活動”だから、続けるも辞めるも、参加するそのひとの自由である。
金谷麻美さんは最初からずっと、「ワーキング・グループ震災/原発」に参加している。それまでは、詩をつくったり絵を描いたり、舞台でパフォーマンスをするなど、アートに関心を持ち、自分を表現することを続けていた。“新聞読んだことない、選挙に行ったことない、典型的な「自分ちゃん」タイプ”だったという。

———数年前に須川さんとルームシェアをしていたんです。hanareのメンバーはみんな知っていますし、S・Kを立ち上げる過程も見てきました。「Social Kitchen」という名前がそうなのですけど、一般的なオルタナティブ・スペースと一線を画していると思うのは、“社会を面白くしていく実験”というコンセプトだと思うんですね。「面白そう」と感じて、最初のころからいろんなイベントに行ったりしていました。

そうするうちに、金谷さんの「社会」に向ける目がひらかれていった。自分自身を見つめ、表現することとは真逆にも見えて、そのじつ表裏一体でもあるから、ある意味自然な流れであったかもしれない。

———「ワーキング・グループ震災/原発」は、参加する全員が主催者というかたちで、1年目は避難して来たひとも含めて、コアメンバーは10人から15人くらいでした。アイデアを出したいひとたちがコミュニケーションをはかれるように、軌道に乗るまでのサポートをhanareがやってくれました。
最初にかたちになったのは「食べる」ことでした。女川カレーの試食会を開催したり、福島からの避難者を中心に鴨川で大芋煮会をしたり……。誰が避難者で誰が京都人とか、そういうことを特に言ったりせずに、みんなで楽しくごはんを食べたんです。
ごはんを食べてるうちに、「なぜ(震災や原発の)問題が起こってしまったのだろう」という話になって。その「そもそも、なんで」を考えるために、政治の勉強会をしようとなったりしたんですね。

カレー好きのワーキンググループ・メンバーが企画した、カレーを通した被災地支援の取り組み
「カレー支援の夜」
。東京スパイス番長メタ・バラッツ氏による女川カレー試食会&チャリティチャパティ 
/ 2011年9月16日

カレー好きのワーキンググループ・メンバーが企画した、カレーを通した被災地支援の取り組み
「カレー支援の夜」
。東京スパイス番長メタ・バラッツ氏による女川カレー試食会&チャリティチャパティ 
/ 2011年9月16日

ひとが集まり、美味しいごはんをいっしょに食べるところから、ものごとは動いたり、生まれていったりする。S・Kの「食や生活から社会を変えていく」とはこういうことなのだろう。

金谷さんは現在、ワーキンググループ3年目の活動を終えようとしているが、続けていくことの難しさを感じている。

———1年目、2年目はhanareの呼びかけでしたが、3年目は参加しているわたしたちが呼びかけ人だったんです。でも、しんどさを感じるようになってしまって……。また、モチベーションを持続することの難しさも実感していました。すごく悩みましたが、ワーキンググループ内で話し合いをして、もう少し続けさせてください、とhanareにお願いをしました。
わたしの場合、S・Kが「公民館」だということがつねに頭にあるんですね。だから、ここでやる企画を考えるときも「(自分が)こういうことをやりたい」ではなく、自然と「(S・Kで)こういうことはあったほうがいい」という考え方をしています。このときもそうでした。いろいろ考えた末に、社会のなかでひとが集まって、自由に話をしてアイデアが出せる場所があるか、ないかではどっちがいいかと思ったときに、ある社会のほうがより素敵だから3年目もやる、と。

自分がやりたい、やりたくないというよりは、必要だからあったほうがいい、という考えかた。今の金谷さんがS・Kに関わるときの基本姿勢だ。それはそれとして、最近ではさらに、自分自身が本当にやりたいことを自覚し、そこに楽しみを見いだして、得意なことに結びつけていきたいとも思っている。

———いくら必要であっても、苦しいばかりだと続けていくことができない、ひとに伝わらないということをワーキンググループで身をもって学ばせてもらった気がしています。ひとに、社会に対して自分は何を伝えたいのか。そんなことを考えていくと、結局自分らしくどのように考え続けられるのか、小さな暮らしのなかで何を表現していくのかに行き当たって、それが今わたし自身の課題になっています。

ワーキンググループでの活動を経て、金谷さんはふたたび、ひとに思いを伝えるありかたのひとつとして、アートについてもあらためて考えるようになった。自分に関心が向いていたころとは大きく違う、アートの捉えかたである。S・Kを通して、金谷さんは文字通り、育っている。