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アネモメトリ -風の手帖-

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#13
2014.01

暮らしのなかの「うつくしいかたち」

後編 結びあい、育ちゆく芸術と手しごと
3)桜製作所・永見眞一に聞く1 讃岐の工芸とデザイン
永見眞一さん

永見眞一さん

その中心的なメンバーが、木製家具で知られる「桜製作所」の、現・会長である永見眞一さん。1923年、大正12年の生まれ。その「桜製作所」は、とりわけ関係の深かった家具デザイナー、ジョージ・ナカシマの家具で知られており、その本社は高松市内から琴電で数十分ほど行った牟礼にある。四国で牟礼と聞くと、すぐに連想されるのが彫刻家イサム・ノグチ(1904-88)の旧宅があること(現・イサム・ノグチ庭園美術館)。良質な石とそれを加工する腕のいい職人がいる地域でもある。

(2点とも)桜製作所の本社

(2点とも)桜製作所の本社

前庭に木々が植えられ、森に囲まれたような社屋におじゃまする。今年で卒寿を迎えられたという永見さんは、かくしゃくと話しはじめた。桜製作所の創業は1948年。戦前に香川県立工芸学校木工科で同級だった高松顕とともに、出征経験ののちに立ちあげた。

———昔は、それぞれの地域で各自がものづくりをこなしておりましたから、特別産地というのはなかったのですが、ただ漆器だけは宇和島と香川のものがありました。宇和島の漆器は晴れのもの、香川の漆器は日用のもの、と使い分けられていました。戦前から、そのような工芸の伝統はこの地域にもありました。日本全体が戦争を乗り越え、そこから、それぞれの考えのもと変わってきました。古いものをそのまま受け継ぐということはできませんでしたが、讃岐民具連とか、イサム・ノグチさん、丹下健三さん、芦原義信さん、大江宏さんなど、その頃の錚々たる方々が尽力してくださり、また金子さんという当時の知事が大きな力になってくださいました。政治は芸術だとおっしゃられて、政治も創造、新しいものをつくり出す要素が必要だと。建築は長く残るものとして建築を、また香川県にはもともとなかったクラフト産業にも力を入れて、デザインを考慮した建築物をつくり、クラフト産業を伸ばすことを考えられていました。

香川県庁舎をつくるにあたっては、本館(現:東館)の知事室や副知事室の内装は剣持勇さんが関わられました。その一方で、議会関係の議長室、副議長室、議員の控え室の家具は地元でつくりまして、そのデザインをわたしたち桜製作所も一部担当しました。地元にも家具の工房や製作所があるのだから、ある種の啓蒙的な意味も込めて、いいものづくりをするきっかけになれば、と考えてくださったんですね。戦後まもないころはまだ、ものづくりをするにあたって、デザインをきちんとしなければならないという発想はあまりなかったのです。建築もデザインのひとつですが、大きい建物は設計事務所が担当していましたが、民間の小さな住宅は大工さんがそれぞれ親方から教わった平面図に従って、棟梁らが指導して建てる、というかたちでやっていました。あえて言えば、あまりデザイン的なものは少なかったです。

讃岐民具連のメンバー。左から3人目がジョージ・ナカシマ、右隣が流政之

讃岐民具連のメンバー。左から3人目がジョージ・ナカシマ、右隣が流政之

芦原(1918-2003)も大江(1913-89)も戦後の重要な建築家である。戦後直後、1950年代には日本では「クラフト運動」がおこっていたし、戦前からの柳宗悦らによる「民藝運動」も続いていた。でも、この県庁新築という大きなプロジェクト、実験を経た高松の新世代たちは、ものづくりにおけるデザインの重要性に気づいたのである。その後、1963年に結成された讃岐民具連が目指していたのは、「もの」の商品としての輸出振興でも、芸術としての価値づけでもなかった。生活用具をつくるに際して、人間同士、職人同士の「連なり」を求め、そして伝統的な技術を生かしながらも、デザインを今日の生活に結び付け、新しい「暮らしの道具」を創造する方向性を見すえていたのである。
メンバーはほかに、漆の安本一夫、瓦の山本忠司、金工の神高義隆、流が組織した「石匠塾」のメンバーら。確かに、桜製作所も最初から椅子やテーブルといった洋家具――戦後のあらたなライフスタイルの必需品の生産に取り組んでいる。会長はこう、説明してくれた。

———柳宗悦さんが「民芸」というものを提唱されたわけですが、民芸と「民具」との違いは、民芸はこれまでこつこつとつくっていたもののなかから、今使ってもいいものを取り上げた。民具連の中心人物である流政之さんは、伝統の技術を活かしながら、物そのものは現代のデザインに置き換えて、新しいデザインでものづくりした。機能を十分にして、使いやすいものを「民具」と名付けたわけです。

流さんはアイデアを出してくださいましたが、芯となって活動するひとが必要ですから、わたしから高松くんや銀行の方、県の建築家の山本さん、漆芸の安本さん、瓦職人の方などに声をかけました。みなさんに課題を出してつくってもらい、また持ち寄って検討しながらものをつくっていきました。家具については桜製作所が、その他では瓦職人の方が石で灰皿を作ったりもしていましたね。

戦前から「わざ「技術」はあった。だけれども戦後の新たなライフスタイルにフィットする「デザイン」創出に向けて、つくり手同士、異種混交のワークショップが始まったといっていいだろうか。