アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#64
2018.09

生活と表現が育まれる土壌

前編 生活工房の日常 東京・世田谷区
2)未分化な「生活」

2006年から生活工房で働いている学芸員の竹田由美さんは、生活工房らしさを「衣食住では切り分けられない、未分化なものを扱っているところ」だと語る。これまでに手がけた企画のなかで生活工房らしいと思うものは? という問いにこう答えてくれた。

竹田由美さん

竹田由美さん

——いろいろあるのですが、最近だと2017年に開催した『ミャオ族の刺繍と暮らし』展でしょうか。ミャオ族というのは、中国西南部の山奥に住んでいる超絶技巧の刺繍の服を身につけた民族です。隙間がないほど念入りに施される刺繍は、世界的にもこれほど細かく施す民族はいないと評されるほど。モチーフには意味があり、たとえば龍は五穀豊穣の象徴、唐辛子の花は子だくさんと、文字を持たない民族の信仰や精神性を伝える役割も担っています。
なので、普通に刺繍を並べるだけで「わー、すごい!」というふうになるのですが、会場の一角に彼らの日常を映した映像を流したんです。実は、そこに豚を屠殺しているシーンがあって、ときおり豚の叫び声が展示会場に響いたりするんですね。すると、美しい刺繍を見に来たおばさまたちからは、「こんな映像を見せられるなんて」という声もあったのですが、ミャオ族はわたしたちと同じように暮らしていて、そのなかで屠殺もする。そして、その豚を解体した手で刺繍をしている。豚の血を使って服に光沢を出す技術もあるほどで、それはそういう日常から生まれたもの。彼らの生活はひと続きだということを伝えたいなと思ったんです。
ミャオ族の刺繍は、幼子のためのものが最も繊細で、赤ちゃんのための背負い帯なんかは、まるで護符のようなんですね。山の起伏の激しいところにつくった棚田で稲作中心に暮らしていて、子どもが長生きするには厳しい世界。だからこそ、お守りのようにチクチク懸命に刺繍をしているんだと気づかされます。でも女性たちが華やかな刺繍をしているすぐ横で、ほんとうに豚の叫び声が響いているかもしれない。

刺繍そのものの美しさだけではなく、刺繍を通してそのひとたちの暮らしや、そこにある「世界」を伝える。そのための工夫を至るところに施す。その緻密さと愛情溢れる手仕事に、会場ではルーペを握りしめて見入るひとの姿が見られたという。

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photo:田中由起子

『クライム・エブリ・マウンテン Vol.1 ミャオ族の刺繍と暮らし』(2017年11月11日〜12月10日)。展示風景と背負い帯のようす(photo:田中由起子)

ほかにも、ただ何かを学ぶのではなく「語り合う場」をつくるために、ふと会話が生まれる余白をつくっているという。展示空間では、書物を座って読んだり、ぼーっと佇んだりそのひとなりの過ごし方ができるようになっていて、いつも居心地がいい。疑問形のタイトルも、その工夫のひとつだ。

——全部「こうだ!」と決めつけずに、なるべくあらゆる角度から差し出すよう心がけています。
2016年に開催した『いぬと、ねこと、わたしの防災 いっしょに逃げてもいいのかな? 展』では、ペットとの同行避難について考える展示をしました。災害時のペットとの行動シュミレーションや避難所での過ごし方を紹介したのですが、会場の一角で「防災について、あなたが大切に思うことはなんですか?」と投げかけて、ペットを飼っているひととそうでないひとに分けて付箋に意見を書いてもらったんです。そうしたら「やっぱり人間の命を優先すべきだ」って書かれているところに「でも、家族なんです!」って書かれた付箋が重ねてあったりして。ただ良い悪いじゃなくて、本当にそれぞれの想いがあるんだなというのを目の当たりにしました。

賛成/反対、善/悪……決して二項対立では割り切れない、それぞれの固有の声。そこには、意見の中身を知るだけではなく、自分と同じ場所に来たひとが手書きで書いたものを読む、という経験がもたらす手触りがある。「わたしは動物を飼っていませんが、お互いが”いっしょに逃げてもいいんだよ”と思えますように」という付箋もあった。

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『いぬと、ねこと、わたしの防災 いっしょに逃げてもいいのかな? 展』(2016年4月23日〜5月22日)同行避難について集まった付箋のようす。『生活工房アニュアルレポート2016』より