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アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#5
2013.05

新潟 「エフスタイル」がつむぐ、あたたかな「循環」

後編 作り手、売り手、そして伝え手

5.「亀田縞」のルーツは野良着
〜 新潟・立川織物(1)

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立川織物の工場にて。亀田縞がものすごい速さで正確に織られていく

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経糸のセッティング、縞模様のチェックなどにはやはり人の手が必須

「HOUSE doggy mat」「ゴムが入っていない、ふんわりしたはき心地の靴下」に並ぶエフスタイルのロングセラー商品が、新潟市旧亀田町にある「立川織物」の「亀田縞」シリーズ。亀田地域に伝わる伝統の織り地「亀田縞」を使い、パンツやあずま袋、風呂敷などに仕立てた定番のシリーズだ。この亀田縞は、古くは野良着として始まった。

「亀田地域での織物の起源は、江戸時代、新発田藩のお殿様が農閑期に仕事がないので機でも織ってはどうかと発案したことに始まります。このあたりは当時、綿花が育つ北限地域だったんです。そこで、綿花を育て、糸をつむぎ、機で手織りするわけですが、ふだんは農作業をやっている人間が慣れない手で糸をつむぐもんだから、糸がうどんのように太いわけ。その糸で織った布は柔道着のようにごわごわしているから、水につけ、石でたたいて、なんとかやわらかくして、自分たちの野良着にしたのが始まりです」

創業は明治17(1884)年と伝わる立川織物の6代目、立川治秀さんが教えてくれた。明治時代を迎え、紡績や染織の技術が発達し、すぐれた糸と機械式織機が普及すると、この辺りで織られた野良着は「亀田縞」という名で北前船に積まれ、貴重な木綿着として東北や北海道に出荷された。亀田地域は織物の町として発展、機屋がずらりと軒を連ね、織機の音を響かせていたという。

亀田縞は、藍色をベースに、生成り色や赤色などの太い綿糸が織りなす素朴な縞模様で知られる。「日本で最も過酷な農作地」と言われた亀田地域は、腰までつかって田植えをしなければならない湿地帯で、ヒルや虫が嫌う藍が染料として重宝されたのだ。

しかし、第二次世界大戦前、糸が配給制になり、武器のために機械を供出させられた機屋がことごとく廃業。それに伴い、亀田縞もすたれてしまったのだった。