アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#61
2018.06

音楽とアートが取り持つ、まちの多層性

1 広島・尾道
3)音楽が育てた「ひとりでも始めてしまう文化」
——信恵勝彦さんに聞く(1)

尾道のまちを歩いていると、路地や街角、商店のシャッターなど、あちこちにライブ告知のポスターが張ってあるのが目に入る。その遭遇率の高さはまさに「犬も歩けば棒に当たる」レベルだ。ジャズ、アコースティック、ロック、ヒップホップ、クラシックまでジャンルも多彩。
トウヤマさんに「尾道のひとは音楽好きなんですね」と話すと、ノブエさんというひとが話題に上った。「彼に音楽のことを教わったという尾道のひと、多いんです。ノブエさんがEGO-WRAPPIN’とか二階堂和美を呼んでるのを見て育ったひとたちが、今度、自分たちで好きなバンドとかミュージシャンを呼び出してる」と教えてくれた。かくいうトウヤマさんも、ノブエさんプレゼンツのライブに度々応じてきたひとり。移住先としての尾道を意識させた人物でもある。
ノブエさんとは、尾道駅の北側にある「れいこう堂」の信恵勝彦さんのこと。尾道では知らないひとはいない「まちのおじさん」だ。CDショップの店主でありながら、EGO-WRAPPIN’、二階堂和美、UA、SAKEROCK、オーサカ=モノレール、mama!milk、アン・サリーら、今では第一線で活躍するミュージシャンにインディーズ時代からいち早く目をつけ、音楽業界のつながりもないのに、本人に電話やメールで依頼して尾道に招聘するという原始的な方法でライブを企画し続けてきた。当時の尾道にはライブハウスがなかったため、海を隔てた向島にある農業公園「向島洋らんセンター」や、浄泉寺をはじめとするお寺の境内を借りて手づくりライブを決行。無謀とも思える信恵さんの情熱にひかれ、数多くの実力派ミュージシャンたちがその依頼に応じてきた。田中トシノリ監督のドキュメンタリー映画『スーパーローカルヒーロー』(2014年5月公開)にも、交流のあるミュージシャンが信恵さんについて語ったインタビューやイベント費を捻出するため新聞配達のアルバイトに奔走する信恵さんの姿が収められている。
信恵さんは尾道のまちと県外を音楽でどのようにつないできたのだろうか。「あちこち飛び回っていて店にほとんどいない」とさまざまなひとから聞かされていたが、この日、店を訪れると、店頭に「めずらしいことにopenしてます」と書かれた張り紙があった。
信恵さんは現在59歳。広島県三次市の出身で、35年ほど前に尾道にやってきた。日本初の貸レコードのフランチャイズ「黎紅堂」尾道店の店長として出発したが、時代の流れとともにCD販売店「れいこう堂」として独立。自作や仕入れの無農薬・有機栽培の野菜豆・種なども売りつつ、「ひなの会」という震災や原発事故避難者の保養・移住支援団体の代表も務めている。
信恵さんが尾道に招いた最初のバンドは、当時大阪で活動していたEGO-WRAPPIN’だ。2000年4月22日、向島洋らんセンターで行われたそのライブは尾道では語り草となっていて、当時のTシャツを今も大切に持つひともいる。信恵さんは一体どんな思いから始めたのだろう。

———それまでは洋楽がすごい流行ってたんですよね。特に80年代の洋楽がすごかった。デヴィッド・ボウイとかね。そのころチャートを潤わしている日本の音楽といえば、松田聖子とか山口百恵とかキャンディーズとかのアイドル音楽、それかフォークか演歌。そのすき間を縫うように90年代の終わりごろ、EGO-WRAPPIN’とか、どういったらええんかな、ポップでもありロックでもあるけど、オリコンには入って来ないようなちょっと変わった感じのひとたちが出てきて。インディーズという言葉もそのころから耳にするようになりましたね。で、聴くとすごいかっこいいから、生で聴けたらいいねっていうんで2000年に呼んだのがきっかけですね。それから関西と東京のひとたちを中心に。2006〜2008年ごろがピークだったかな。もう、うじゃうじゃいましたから。SAKEROCK(2015年に解散)とかね。このころは星野源ちゃんも全然ふつうだったし、ハマケン(浜野謙太)と一緒にアンコールで植木等を土砂降りの雨のなかで歌ったり。向島の洋らんセンターでは本当によくやりました。野外でね。ライブハウスは当然ないし、演奏ができるようなカフェもなかったし。ほとんど洋らんセンターだったですね、うん。

トウヤマさんの言葉を借りると「洋楽を聴いて育った世代がやり出した日本の音楽」は、尾道の若者たちに熱狂的に受け入れられた。が、当時、若者以外にも生の音楽に触れてほしいと信恵さんが考案した特殊なチケットがあった。その名も「家族お得パック」。例えば前売り大人1人3,000円のライブでも、家族で来ると4,000円になるといった具合。その恩恵にあずかった体験があるからだろうか、尾道の音楽イベントは今も家族連れ歓迎・子ども無料のものがほとんどだ。

———尾道は子ども無料のイベントばっかりですよ。中学生以下無料は基本。子ども連れNGのイベントなんてあり得ない。どもは耳がいいんで、音楽があるとすごい喜びますから。子ども同士集まれば勝手に遊ぶし、子どもが子どの世話してるし。山手の浄泉寺でのライブとかね。あそこは住職さんが音楽好きだし、境内広いし、庭も広いから。みんなそういうかたちで何かしら子どものことを考えてやってると思いますよ。

自分が聴きたいミュージシャンを単身で呼ぶ文化、子どもを音楽シーンに参加させる文化。いずれも信恵さんが動き回るうちに耕したやわらかい土のうえに芽生えたもののように思える。

———どうかな。いや、それは自分はわかんないですね。自分では言えない。ひとがそう感じてるんだったらそうかもしれないけど。ただ、そういう時があったっていうのはみんな覚えてるし、まあ、誰でもライブを企画できるんだよっていうのは芽生えたでしょうね。自分で企画すれば何でもできるよっていう空気は生まれやすかったかもしれないですね、うん。2011年の震災以降は自分がイベントしなくなったから、逆にみんながし出したというのもありますね。

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「れいこう堂」はCDショップだが、雰囲気はまるで町会所。この日は「晦日のれいこう堂」という名の親睦会が。毎月末、尾道に避難してきた家族や移住してきた家族が集い、互いの生活を報告し合ったり、記念撮影したりする。オレンジ色のジャージーを着ているのが信恵さん