アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#61
2018.06

音楽とアートが取り持つ、まちの多層性

1 広島・尾道
2)尾道を背負ってもいいし、背負わなくてもいい
——トウヤマタケオさんに聞く(2)

なおみさんが急遽参加したその空きPの見学会では、初回ということもあり、これという物件には出会えなかった。しかし空きPは「尾道市空き家バンク」という移住者と大家をつなぐマッチング・システムを運営しており、一度現地へ見学に来たひとは、次からウェブ上で空き家情報を閲覧することができた。山手の物件が豊富な空き家バンク、旧市街や島の物件も扱う地元の不動産屋と並行して連絡をとりながら、半年以上の月日を経て巡り会ったのが、ちょうど山手地区のふもととなるJR在来線の線路に面した、現在の鉄筋コンクリートの家だった。トウヤマさんたちがこの家を選んだ決め手は何だったのだろうか。

———見た目ですね。勘みたいなものじゃないですか。本当にいろんな空き家を見たんですけど、尾道は基本的に日本家屋が多いんですよ。モダンなひとが多いので、洋室付きだったりはするんですけど。それで軒、千光寺の観光道に面した純日本家屋に案内されたことがあったんです。日本庭園もついてて、その家自体が観光資源みたいなところで。しかも土地と家がタダだった。その代わり、景観を守るためのメンテナンスをしてほしいという条件付きでした。それを聞いた時、「ちょっと重いな」と思ってしまった。僕らそこじゃないのに、って。だから、コンクリート打ちっ放しの、ただの箱みたいなこの家を見た時、「うわ、これラク!」って思った。僕らにはこっちの方が合ってるなあ、って奥さんとも意見が一致して、即決でした。

決めた家は不動産屋の物件だったが、放置されていた家財道具のガレージセールや運び出しは空きPに手伝ってもらい、改装は大工仕事が得意な大阪の友人に住み込んでもらいながら家族でこつこつ遂行。1階の母屋部分になおみさんの靴工房兼ショップ、増築部分にトウヤマさんのアトリエ(「音楽室」と書かれた表札がかかっていた)、2階を生活スペースに決め、契約から約1年かけて改装と引っ越しを完了した。尾道駅まで徒歩約5分、福山駅まで山陽本線で約20分、そこから新幹線のぞみで東京、名古屋、大阪、京都にも行きやすい。市電こそないものの、求めていた都市機能は十分に満たしていた。実際、大阪にいたころよりも移動回数が増えました、と満足そうに話すトウヤマさんに、尾道に来たことでご自身のつくる音楽にも変化はありましたか? と尋ねたら、「来たな」という表情と共に意外な答えが返ってきた。

———困るんですよね、それ聞かれると。例えば、「ここは鉄細工が有名なので鉄を使った音楽をつくりました」とか「海の音が聞こえたから海の音楽をつくりました」みたいな、わかりやすいマテリアルを取ってきてものをつくるのって、なんかちょっと恥ずかしい。だって、自分が本当にそれをやりたいと思ったかというと違うじゃないですか。ものをつくるっていうのは自分のモチベーションが一番なんですよ。4、5日いたからって、その土地のものがいきなり自分のなかに落ちてくるわけがない。尾道は僕ら家族必要だったから来たところで、尾道を発信するために来たわけではないですから。ふつうはそうじゃないですか。みんな自分の生活のために引っ越すわけでしょ。そこからまちに馴染んで、まちのために何かしようと思ったらやればいいし、思わなければ別にやらなくてもいいんじゃないかなと僕は思ってるんですけど。何か影響があるんじゃないですか? と聞かれたら、あるかもしれない、とは言いますよ。でも、今は無意識レベルじゃないですかね。もっとゆっくり沈殿していって出てくる何かだと思います。なんかね、全員が全員、尾道を背負わなくてもいいというか。大きなまちに住んでると、いろんなレイヤーがあるわけじゃないですか。それが尾道で起こってもいいと思うんです。このまちのサイズなら、ぎりぎりそれが許される気がする。もう少し小さいと、もっと濃くなってくると思うので。

尾道を背負う、背負わないは個人の自由——。トウヤマさんのこの発言は、今の尾道の風通しのよさを学ぶうえでとても重要なヒントに思えた。高齢化や過疎化が進む地域に新しい住人がやってきた時、どうしても「若いひとの力でまちを活性化してほしい」「定住して結婚して子どもを産んで人口増加に貢献してほしい」といった地元側からのプレッシャーがかかりがちだ。そして、期待に呼応して疲弊してしまい、去るひともいる。しかし尾道では、その風圧は限りなく少ない印象を受けた。このまちを背負うひとも、背負わないひとも、個々が独立しながら共存することを許容しており、各自が自分のタイミングで出走できる気楽さをつくり出している。尾道の山手の複雑な地形に合わせて建てられた、ひとつとして同じものがない邸宅群が、結果的にどのまちにもない景観を生み出しているように。

———僕、基本、人見知りなんですよ。呼ばれればどこでも行くんですけど、ひとが集まってるとこがあんまり好きじゃない。僕は音楽はひとりで聴くほうが好きなんで。ラジオとの付き合い方と一緒です。ラジオをみんなで聴かないじゃないですか。だから僕のつくる音楽も、深夜ラジオ番組にハガキを書いて、そこで読まれる的な感覚ですね。深夜ラジオのリスナーに聴かせるためにつくっている。すみません、これも全く尾道らしくないですね。でも、空きPの豊田さんにしろ、シネマ尾道の河本清順さん(空きPの発足とほぼ同時期に尾道唯一の映画館を復興させた支配人)にしろ、個人レベル、個人商店でやっているのがやっぱりいいなあ、と思うんですよね。

人見知りでも移住はできるし、つながる方法もある。トウヤマさんの率直な言葉を胸に「音楽室」を後にし、なおみさんに靴工房を案内してもらった。予約制で訪問客を受け付ける、日当たりの良い小さな店。なおみさんも当初、店名を「オノミチシューズ」にしようと考えていたが、「ちょっと大きすぎるな」と思い直し、この辺りの古い地名である「一里塚」にちなんで「イチリヅカシューズ」としたそうだ。なおみさんがひとりひとりの好みに応じて革を選ぶというカラフルなセミオーダーシューズの見本が、今にも外に向かって歩き出しそうな表情で並んでいた。

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革製のフラッグが玄関にはためく1階には、なおみさんの靴工房兼ショップ「イチリヅカシューズ」が。2階はキッチンをはじめとする生活空間になっている。「大阪にいたころは生活と仕事が別々でしたが、ここに来てからは料理をつくりながら靴をつくるというような生活になりました」となおみさん。床の張り替えや壁の塗り替えなどの改装は家族総出で仕上げた。家族それぞれの部屋に使ったペンキの残りを塗り重ねたという天井が美しい