アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#58
2018.03

これまでと、これからと 2

2−3)地域づくり 未来を見すえ、自ら動く
終わりなき挑戦 島根県海士町
(挑戦し続けることの力 #42#43

隠岐諸島のひとつ、中ノ島の海士町。本州から船で2、3時間かかる離島である。山海の幸に恵まれた豊かな島だが、一時は過疎と財政破綻で、まちの存続が危ぶまれる危機的な状況にあった。しかし、そこから十数年をかけて、まちは再生した。今では「地域おこしの成功例」として、一番に名前があがる。
その取り組みもまた、よく知られている。2002年に町長に就任した山内道雄さんを中心に、行政、町民、そして島外から来たひとたちが手をたずさえて、行政、産業、そして教育で大胆な変革を行った。役場は「住民総合サービス株式会社」と位置づけ、職員の意識から変える。第三セクター「ふるさと海士」を立ち上げて海士の海産物などの特産品をアピールし、都市に届ける。また、廃校の危機にあった島唯一の高校で「島前高校魅力化プロジェクト」を推進し、その柱として「島留学」を打ち出して、島外からの入学者を大幅に増やした。島は活気を取り戻し、多くのひとが移り住むまちになったのである。

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(上から)山海に恵まれた立地 / 田んぼをのぞむ図書館 / シンガポールの大学生が島の高校生にプレゼンする

しかし、地域再生に「成功した」といわれることを、当事者たちはどう思っているのだろうか。地域づくりにおいては、成功した話だけ聞いても意味がない。むしろ、うまくいかなかったことにこそヒントはあるかもしれない。
結果から言うと、町長はじめ、一次産業の従事者も移住者も、誰も「成功」とは思っていなかった。むしろ、現状に危機感を抱いている。共通認識として、島の根幹である農業、漁業などの一次産業の先行きが見えず、後継者がいないこと。教育に関しても、隠岐島前高校では全校生徒のうち島内と島外が半数ずつ、という多様性も生まれたが、生徒間の基礎学力の隔たりや、高校と協働する公立塾「隠岐國学習センター」を含めたプロジェクトの持続的な運営体制をどうするかという問題が立ちはだかる。
2007年に島に移り住み、熱意ある活動を続ける阿部裕志さんは、海士町のこれからを担うキーパーソンである。「持続可能な地域を創る」ことを目指し、地域づくり・教育・メディア事業を手がける会社「株式会社巡の環」を立ち上げ、代表を務めている。
阿部さんは、海士町は成功事例ではなく、「挑戦事例」と考えている。これからについては、「一番大事なのは『諦めない』ことで、絶対にやりきるという気持ちのひとが、世代ごとに3人以上いることが必要」と話す。
じっさい、同じく移住組で隠岐國学習センター長を務める豊田庄吾さんをはじめ、移住組にも地元民にも、海士町には島のこれからを真剣に考え、行動する30代、40代が何人もいる。さまざまな問題に取り組み、よりよいまちにするための「挑戦」は続く。

海士町では山内町長をはじめ、地元の方たちの多くが、移住してきた若い世代にずっといてほしいと思っている。多かれ少なかれ、どこのまちでも聞く声ではあるが、この島では特にそれが著しいように思えた。ひとつには離島であること、そして一次産業を立て直したいということも関係あるだろう。移住者はその思いを受けとめつつ、個々のライフスタイルにあった住まい方を探っていくのかもしれない。
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(上から)町長の山内道雄さん / 株式会社巡の環の阿部裕志さん / 島内に広がる田畑の光景は美しい。合鴨農法も行われている

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「海士Webデパート」商品の一部。豊かな山と海のミネラルを取り込んだ、海士だけの特別な「海士の本氣米」ほか、名産品がリストアップされる(写真提供:株式会社巡の環)