アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#56
2018.01

まちと芸術祭

4 札幌国際芸術祭2017の公式ガイドブックを片手に(第4日目)

札幌国際芸術祭2017のゲストディレクター大友良英は、そのメインテーマとして「芸術祭ってなんだ?」を掲げた。「芸術ってなんだ?」ではない(そう勘違いする向きも見受けられたが)。「芸術祭ってなんだ?」というのは、大友良英の率直な感想だろう。サブテーマは「ガラクタの星座たち」であるが、こちらの方が、アートに対する大友の思いが伝わる言葉だ。

『完全コンプリートガイド 札幌へ アートの旅 札幌国際芸術祭2017公式ガイドブック』に収録された大友のインタビューでは、サブテーマ「ガラクタの星座たち」について、こう述べている。「ゴミ処理場だったモエレ沼をイサム・ノグチがアートで再生したことに呼応していく芸術祭にできればと思っています。それと同時に、大地の下に埋められたゴミがあることをもう一度見つめ直したい。家電や家具の背後には使った人の記憶があり、人間の歴史が埋まっています」。ガイドブック上でのインタビューゆえ、開催前のコメントであるが、これを念頭に置くと、モエレ沼公園エリア「RE/PLAY/SCAPE」での伊藤隆介のインスタレーション「長征-すべての山に登れ」は、まさにその埋まった「大地の下」から這い出してきたように見えてくる。

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山を駆けのぼるたくさんの自転車たち。今は無人だが、かつて、そのサドルには人間の尻が乗っていた。ペダルには足が置かれていた。ハンドルを握り、ブレーキに指をかけ、前を向き、あるいは二人乗りしながら、夜にはライトを点灯させて、ひとは、大地を移動していた。今、モエレ山を駆けのぼる、廃棄される運命だった自転車たち。

観客は、山の斜面を、自転車の間を歩くうちに、子どものころの自身の姿も、その自転車の列に合流させるだろう。自転車に乗って遊びに行った思い出、親と買い物に行ったときの記憶が、よみがえるだろう(すぐじゃなくても。帰りの飛行機のなかでも。あるいは、今、このときでも)。

「かつてこれらの自転車に乗っていた大人たち、子どもたち」のことにいくら思いめぐらせても、実際の日本の人口は増加しない。「子どもの数」も増えやしないが、観客の頭のなかでは確実に「子どもの数」は増えている。大人たちの「数」も増えている。自転車の数だけ、増えている。