アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#52
2017.09

横道と観察

2 細馬宏通 × ほしよりこ 対談 
8)マンガ界の衝撃的「事件」
「ポップス界にシンガーソングライターが現れたような感じ」(ホソマ)

細馬 でもほんと、この世に突然、ぽつんと出てきた感じですよね。一番最初の出だしから。すごくとっつきやすいのに、こんな変わったことしてるひとは珍しいですよ。
ほんまに、ポップス界にシンガーソングライターが初めて現れたような感じです。それぐらいの衝撃がある。ふつうは吹きだしとコマ割り、キャラクター、っていうのをひとりの頭のなかで分けて考えていて、アシスタントを雇って、背景はアシスタントに描いてもらう。ほしさんは?

ほし 雇ってないですね。やってもらうことがなんにもない。鉛筆削るぐらい? そこまで激しくも描いてないですしね。

細馬 今、マンガ界ってすごいシステムができあがってるから。そのなかでほしさんは、いわゆるマンガ賞取って出てきたわけじゃないからね。後から取ったけど。新人登竜門みたいなところを通って編集者さんがつきました、さあマンガ家を育てましょうっていう話には全然乗ってないからね。

ほし マンガの世界もそうならなければならない理由があったと思うんですね。版画とか、日本独特の浮世絵とかもそうですけど、工房みたいなかたちでファクトリーとしてやっていって分業して出す。版画とか印刷の世界ってそういう独特なところがあるんですけど、それが必要だった。今、そのかたちを何も考えずにただ乗ってるっていうのはもったいないですね。それ以外の技術はすごく発達しているから、方法は自由になっていると思うんです。だからもっと中身に凝れる。外側じゃなくて、描きたいものとか持っているものに対して、もっとダイレクトに出せると思うんですね。
わたしは鉛筆で描くことによってこういうリズム、メロディーみたいなものを崩さずに、1回1回止めて清書してっていうことがないからできてきた。そうじゃなかったら、もうちょっと途切れてたんじゃないかな、って。

細馬 歴史的にはね、版画の世界でも木版でずっとやってて、彫師や下書きを描くひとがいないといけない、っていうのが、石版になったときに、作家の線がダイレクトに出せるって喜んだわけですよ。そのときのインパクトってすごかったはずなんだけど、僕ら気がつけば、マンガという世界でもう1回ペン入れという制度をつくり直して、いってみたら手間のかかる複製というほうに舵を切った。その歴史ってけっこうねじれている気がする。せっかく自由な線を手に入れる過程を踏んだのに、なんでもういっぺん印刷に合わせた線を描くほうにシフトしたんだろうね、僕らは。

ほし その技術や技法ですごく美しいものもありますよね。マンガにしかないペンの美しさとかセリフの吹きだしとかで音を伝えてくるようなこととか、独特のレイヤー感とかがあって、それはものすごい美しいものだなって思うんですけど、そうじゃないものもあると思うんです。そうじゃないもののほうが多いと思う。これはこの線じゃないとっていう必然性があるものは案外少ない。

細馬 ほしさんの吹きだし、レイヤー感ないよね。そんなに吹きだしの線とよその線と違うって感じがしないな。それも面白い。吹きだしは吹きだしで、柔らかいキャラクターみたいになってて、それもマンガじゃないんだよね。面白いね。
今わたし、マンガの吹きだし論、マンガの吹きだしのことばっかり考えるっていうのをここしばらくの課題にしようと思っているんです。

ほし 美しいものだと思いますけどね。

細馬 ほしさんって、吹きだしの線を楽しそうに描いてはりますよね。

ほし そうですね。楽しんでますね。

細馬 ほしさんの線を見ていると、「この曲線、描きたいんやろうな」って感じがしますよ。わざとかくかくした線を描いたりとか。いわゆるセリフで全部分からせる感じではないので、それもあるかな。あとね、吹きだしの吹きだし口、あれ閉じてないんですよ。必ず開けてますよね?

ほし なんか開いてますね(笑)

細馬 ちょっとプシューって世界が漏れてるよね。ふつうのマンガってもっと吹きだしの口が尖ってて、「お前を指してる」みたいな感じで、しかもきちんと閉曲線になってますよ。ほしさんのって空気が抜けてて、それも可愛いですよね。バルーンが出ているというより、ことばと一緒にぴゅーっと線が出てる、そんな感じ。だから吹きだし空間というよりは、吹きだしの線にわーっという勢いがある。風船というよりは煙に近い。

ほし 水蒸気ですかね。もわ〜んって。

細馬 スピーチバルーンというよりは、スピーチスモークっていうのかな。そういう感じがしますね。
……『逢沢りく』のことは、書き出したら20枚30枚は書けてしまいそう。物語として語ることはできるんですよ。物語を語るためのことばを僕らは持っているから。でも、マンガとして語ろうとしたときに、今までのマンガのことばは使えない。マンガの世界の文法は決まっていて、ふつうはそのなかで批評をするんだけど、それがあんまり通用しない。だからまず『逢沢りく』を、あるいは『きょうの猫村さん』を語るためのことばを発明しないと、簡単には書けないなって気がしてる。「語り方」っていうかね。
でも、よくぞ鉛筆画で世に現れてくれましたって感じですよね。この鉛筆の濃淡が現れたってことは、マンガ界の事件だと思いますよ。いつかまとまった文章を書かせていただければと思っております。

ほし 光栄です。よろしくお願いします。

細馬 マンガのつくり方も含めて、全部覆されたわけだから、それがいかなる事件かっていうのを明らかにせねばならんでしょうね。

***

やわらかに、鋭いツッコミを入れるホソマさんと、淡々としながら、ぶれることなく、たしかなことばで語るほしさん。ふたりの会話を通して、何度読み返しても新たな気づきのある作品は、またまったく違うすがたで立ち上がってくる。真にすぐれた表現は、すぐれた観察者によって、こうして何度でも発見される。

対談終了後、ホソマさんからのメールにはこうあった。
「ほしさんのお話、かなり目から鱗が落ちました。「マンガ」の名の下に、まるで違うことが起こっていたことを実感し、頭の中に新しい島が。」
『逢沢りく』は感動的な名作であるにとどまらず、マンガの歴史に名を残すほどの「事件」でもあった。そこにたどり着いたのは、やはりホソマさんだからなのだけれど、何より、目の前にあるものごとを全力で捉え、思考していくというホソマさんの姿勢のたまものだろう。
ただし、現時点ではそれを書き記すことはホソマさんにもできない。『逢沢りく』をはじめ、ほし作品を評するには、そのためのことばが必要だ。それくらい、ほしさんの作品は新しさとオリジナリティに満ちている。マンガという枠にとどまらない、独特なジャンル。絵とことばから声が伝わってくるような、稀有な表現。「新しい島」を見つけたホソマさんがことばを獲得し、あざやかに語ってくれるそのときを、楽しみに待ちたい。

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*『逢沢りく』のカットはすべて、文藝春秋刊の単行本より転載

細馬宏通
http://12kai.com/manga/

ほしよりこ
http://nekomura.jp

構成・文:村松美賀子
編集者、ライター。京都造形芸術大学教員。近刊に『標本の本-京都大学総合博物館の収蔵室から』(青幻舎)や限定部数のアートブック『book ladder』。主な著書に『京都でみつける骨董小もの』(河出書房新社)『京都の市で遊ぶ』『いつもふたりで』(ともに平凡社)など、共著書に『住み直す』(文藝春秋)『京都を包む紙』(アノニマ・スタジオ)など。
写真:成田 舞
1984年生まれ、京都市在住。写真家、1児の母。暮らしの中で起こるできごとをもとに、現代の民話が編まれたらどうなるのかをテーマに写真と文章を組み合わせた展示や朗読、スライドショーなどを発表。2009年 littlemoreBCCKS写真集公募展にて大賞・審査員賞受賞(川内倫子氏選)2011年写真集「ヨウルのラップ」(リトルモア)を出版。