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アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#49
2017.06

奈良・東吉野村 移住と仕事のいま

3 フレキシブルで柔軟な「チーム東吉野」
2)東吉野で心身をつくり、仕事をつくる
写真家・西岡潔さん

坂本さん・菅野さんの後から移住してきたクリエイターたちの多くは、行政企画の移住体験ツアーに参加して「オフィスキャンプ東吉野」(以下、オフィスキャンプ)に立ち寄り、ここでの暮らしを選んだ。武田夫妻しかり、西岡夫妻しかり。ツアーでは奥大和の村々の、移住した方々が活躍されているスポットなどをめぐって、移住体験スペースに一泊する。村での仕事や生活を体験し、移住者との交流会もある。そのあとで、移住するかどうかを決めればよいのだ。
西岡さんは2年前に愛さんとツアーに参加して、移住を決めた。関西は初めてではない。ここ数年は東京で活躍していたものの、生まれ育ったのは大阪で、東京に行くまでは大阪を拠点に仕事をしていた。

西岡潔さん

西岡潔さん

———奥大和は10年くらい撮影で通っていて、住みたい候補にはなっていたんです。でも都会から遠いから無理かなって思ってた。そんなときに移住ツアーで村長や地域のひとの思いを聞いて、ここならいけるんじゃないかって思いました。なにかあったら相談にいける場所(オフィスキャンプ)があるのも心強かったし、先に移住しているクリエイターがいるから、具体的なことも相談できる。

東京から地方への移住、それも、転居先は東吉野のなかでも歴史の古い地域だ。原動力は何だったのか。

———ひとの体は食べるものがつくるから、野菜も米も水も、できるかぎり近くのものがいい。この土地でとれたものを食べて生きていけば、自分が場所の一部になっていくんじゃないか、と。
このいろりだって、縁の材は東吉野のくるみの木。灰も地元のひとがふるいにかけて分けてくれたし、炭は近所につくっているひとがいる。生活に必要なものはすべて、ここで揃うんですよね。そういうことが、仕事にも生活にも大切な気がしたんです。

西岡さんが気に入って住むことにした家は、それなりに手を入れる必要があった。それについても、東吉野村の職員や、坂本さんたちが進んで手を貸してくれた。もっとも、「大ちゃん(坂本さん)がやってくれたんは、居間の床の一部磨いたくらいですけどね。そこだけぴかぴか(笑)」ということだけれど。

仕事の心配は杞憂だった。
実績を積んできた西岡さんは、「奈良の撮影なら、奈良に暮らす西岡さんに」と関西圏のクライアントはもちろん、東京で知り合った編集者も声をかけてくれた。広い自宅は仕事場も兼ね、作家活動も広がった。宇陀市で開催されたアートイベント「木造校舎現代美術館」で、武田さんや比留間さんほか、地元のアーティストたちと一緒に作品を発表したり、大阪で個展を開いたりもしている。

———地方で、自分と向き合って暮らしていくようになってから、写真で何をしたいのか、より意識的になったし、自分に合う仕事を振られるようになってきました。今、写真で表現したいことと生活が、しっくりきはじめた気がしています。

仕事場を兼ねた自宅は築100年。広い平屋だ。行政や坂本さんなど、まわりのみんなに手伝ってもらって、必要な箇所だけ、できるだけ自分たちでリノベーションした

仕事場を兼ねた自宅は築100年。広い平屋だ。必要な箇所だけ、できるだけ自分たちでリノベーションした

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「木造校舎現代美術館 ~Wood School Museum of Art~」での西岡さんの作品。期間中に各作家が廃校になった校舎で制作し、その過程を一般公開した。(「奈良カエデの郷ひらら」宇陀市菟田野、2016年5月14、15日)写真:西岡潔

「木造校舎現代美術館 ~Wood School Museum of Art~」での西岡さんの作品。期間中に各作家が廃校になった校舎で制作し、その過程を一般公開した(「奈良カエデの郷ひらら」宇陀市菟田野、2016年5月14、15日)写真:西岡潔

眼差しは、東吉野という土地にも注がれている。

———写真家って、都会に行けば代わりはいっぱいいるけど、ここには僕くらいしかいなくて。だから地域のなかで果たす役割が自然と見えてくるかもしれない。この村を撮ることも、ちょっとずつはしています。村のひとから望まれているようにも感じるし、作品にはならなくても、ここにいる誰かが撮って残したほうがいいと思うから。

そう考えるようになったきっかけが、縁側だ。西岡家の縁側には、近所のひとたちが立ち寄っては世間話をしていく。

———昔ここは子どもたちの遊び場だったそうで、よく地元のひとがやってくるんですよ。それでも90歳ぐらいのおばあちゃんがここまで急な石段を上ってきて、「ひとが住んでるんやな。懐かしいから、なか見せて」って来はったこともあります。

いろりの灰を分けてくれたのも、縁側で知り合った近所のひとたちだ。地域の会合に呼ばれるのも、「仕事が忙しいだろうからできるかぎりでいいよ」と言葉を添えてもらえるのも、縁側で生まれた相互理解が支える部分が大きい。
いろりも縁側も、プライベートな家のなかの、他者と集うことのできる場所だ。新しく移り住んできたクリエイターと、古い集落で生まれ育った土地のひと。価値観も日常も異なる者同士がお互いを尊重して共存するうえで、これらの場が大切な役割を果たしている。