アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#48
2017.05

移住と仕事のいま

2 行政と移住者、地元の人々の発展的な関わり 奈良・東吉野村
2)行政と移住者で生みだした「クリエイティブビレッジ構想」
奈良県奥大和移住交流推進室長・福野博昭さんと坂本大祐さんの出会い

「オフィスキャンプ東吉野」は、奈良県庁の福野博昭さんと坂本さんの出会いなしには語れない。
福野さんは奥大和地域と関わりが深く、県の奥大和移住交流推進室長として地域おこしや移住推進に関わってきた。家具職人を育てる「下市木工舎ichi」、五條市の築250年の町屋を改装した地元野菜のレストラン「源兵衛」、十津川の古民家をリノベーションしたゲストハウス「大森の郷」など、注目のプロジェクトを次々と成功させている。また、奥大和移住に関連したパンフレット類は非常に垢抜けているが、それも「かっこいいもんに」という福野さんの意向を反映するものだ。
福野さんのもとで働く若い職員たちは、彼のことをこう言う。

———奥大和の19市町村の首長と電話1本でやりとりしています。そんなことふつうはないんですけどね。若手とは、SNSで情報を見つけては「こういうことやろう」と共有する。お金ありきで仕事するんじゃなくて、お金がなければどこかから取ってくる。すごいですよ。(奈良県奥大和移住交流推進室・柴田昌和さん)

———フットワークが軽くて、まめに足を運ぶんです。ひととの付き合いを大切にしているんですね。初めて会ったひとともすぐ友だちになるし、それぞれの土地のおばあちゃんたちにも気に入られていて。誰よりも動かれるんですね。(同・石井一史さん)

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福野博昭さん

福野さんと坂本さんは、3年ほど前に雑誌の対談で知り合った。
「福野さんは、アニキみたいな存在。机の上で温め続けるんじゃなくて、感覚的にぐっときたら素早くスタイルにするひとです。(行政に)こんなひとがいるのかと驚きました」と坂本さんは言う。
福野さんのほうはといえば、初対面時に「えらいこっちゃ!」と思ったのだと明かす。

———大ちゃんが「地元にはつきあいの深い友だちがいないし、地元の仕事もない。けれども、仕事は今までしてきた大阪のクライアントで十分だし、なんの不自由もない」と言ったので、驚いた。こんなに能力も人柄も揃ってる奴が、地元とは何の関わりももたず、それでも困らないなんて、えらいこっちゃ、と思って。

ちょうどそのころ、奥大和の北部にある山添村の元保育園を活用する話が持ち上がっていた。リノベーション案件を得意とする福野さんは、村内の20代、30代に清掃の協力を仰ぎ、坂本さんにも声をかけた。

———1日がかりで掃除を終えるころには、すっかり埃まみれ。それで、帰りに大ちゃんに「風呂でも入ろか」と声をかけたんや。

福野さんと坂本さんは帰り道、伊賀の温泉に立ち寄り、大きな湯船につかりながら語り合った。ちなみに東吉野も水に恵まれた土地で、川だけでなく、泉質の良い温泉もある。だから、坂本さんはじめ周囲の知人たちは、温泉につかって、さまざまな話をすることも多い。
当時、菅野大門さんはじめ、坂本さんの知り合いのクリエイターが東吉野移住に向けて動いているときだった。
福野さんが「この動きって『デザイナーズビレッジ』やなぁ」と言い、そこから生まれたのが「クリエイティブビレッジ構想」。さまざまなクリエイターが奥大和のそれぞれの村に移住して、横につながっていけば、協働で仕事を生み出せる。都市部に外注していた村の仕事も、奥大和のエリア内で請け負うことができる。地域にお金が回り、地域の活性化にもつながるだろう。
この構想を加速させるには何が必要か。湯船のなかで出した答えが「シェアオフィスづくり」だった。ネットがつながり、プリンタが揃った拠点があれば、自然に恵まれた東吉野は、クリエイターにとって理想の環境になるだろう、と。

———この話を村長にしたら、「クリエイティブビレッジ構想」を選挙公約に掲げたい、と。だったら選挙ポスターを大ちゃんにつくってもらおう、ということになって、村長の若者の移住定住に対する想いは加速していった。

事業を東吉野村が担い、運営管理を民間人の坂本さんに委託する。これもまた、「オフィスキャンプ東吉野」の特徴だ。
「大ちゃんがこだわりにこだわってデザインした場所だから、そりゃ、大ちゃんが自分で運営したほうがいい。他のひとにはできんやろ」と福野さんは主張した。民間の、しかも移住してきた若い世代に運営を任せるべき、というのである。そんな大胆な構想を、東吉野のひとはなぜ受け入れたのか。
福野さんは、「村長の力が大きい」という。

———大ちゃんと菅野くんはこの仕事を引き受けることで、集落との関係性を一気に背負わないといけないし、絶対に失敗もできない。それでも彼らは引き受けて、よそもんとして最大限の力を発揮してくれた。村長は彼らのことも僕のことも理解し、見守ってくれた。それを地元の人間が受け入れた、ということ。

そこには、東吉野という土地の気風も関わっているのだろう。福野さんは「山で暮らすひとは、優しいんですわ」という。
ミーティングテーブルは、奥大和で育った樹齢350年のけやきの木でできている。二股の大木をふたつ合わせて、幅広のテーブルに仕立ててくれたのは、地元の木工職人だ。古くからこの地に暮らすひとも新しくやってくるひとも、ここで共に生きられるようにという、エールがこめられている。山のひとは、優しいのだ。

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お年寄りから若い世代まで、多くのひとを惹きつける福野さん / ミーティングテーブルをはさんで、坂本さん(右)と菅野さん(左)

お年寄りから若い世代まで、多くのひとを惹きつける福野さん / ミーティングテーブルをはさんで、坂本さん(右)と菅野さん(左)