アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#43
2016.09

挑戦し続けることの力

後編 「もの」と「ひと」の両面から目指す、幸せな島づくり
4)危機感は持つが、悲壮感を持ってはいけない
海士町長 山内道雄さん(1)

豊田さんにお話を伺ったあと、いよいよ今回最後のインタビューとなる町長の山内道雄さんに会いに行った。
山内町長こそ、海士町の変革の一番の原動力であるといっても過言ではない。山内さんが町長になった14年前から、この変革は始まったのである。

町役場を訪ねると、山内さんはにこやかに迎えてくださった。「山内というふつつかものです」。そう言ってお茶目な笑顔を見せるすがたから、明るい人柄がにじみ出ていた。すでに70代後半であるが、危機的な状態にあったこの島を引っ張り続けてきた活力は今も全く変わっていないように感じられた。

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山内道雄町長。軽快で楽しい話しぶりがひとを惹きつける / ひんぱんに全国各地を巡っている。町長室には島外の子どもたちからの寄せ書きもあった

山内道雄町長。軽快で楽しい話しぶりがひとを惹きつける / ひんぱんに全国各地を巡っている。町長室には島外の子どもたちからの寄せ書きもあった

山内さんが町長に初当選したのは、海士町が過疎にあえぐ2002年のことである。ちょうどその年、いわゆる「平成の大合併」が進み全国の市町村合併が相次ぐなか、海士町(=中ノ島)を含む隠岐諸島の3町村(海士町、西ノ島町、知夫村)でも、合併の話が持ち上がり協議が始められることになった。しかしこの3町村は、それぞれがひとつの島でひとつの町(村)を構成しているという地理的な特性もあり、合併のメリットを見出せずにいた。そして翌2003年には、合併に向けての協議をやめ、それぞれが独立したまま歩んでいくことを決定した。

当時、海士町の過疎は極めて深刻なレベルにまで進んでいた。そのうえ、合併しなければ国の交付金が減り、まちの財政はますます苦境に陥ることがわかっていた。しかし、だからといって、島の文化や歴史を無視した合併を進めるわけにはいかなかったのだ。

ちなみに山内さんは、この決定の際に町民の意思を聞くことを怠らなかった。海士町に住民投票の制度はない。その代わりに、14あるすべての地区で住民集会を開き、住民の意見を直接聞いた。そして町民の多くが合併に反対であることを確認したうえで、合併はしないという最終的な決断をしたのである。

そうして退路を断ち、追い込んだなかから、山内町長の改革が始まった。
漁業、農業、教育、子育て……。島が生き残るための戦略を各分野で策定し、動き出した。その改革を、山内町長はまず自分の身を削ることからスタートした。自らの給与を減額したのだ。まずは30%、その後50%カットを実行する。町長が本気であることは職員にも伝わり、職員も自主的に給与カットを申し出た。給与カット以外にもさまざまな方法で人件費削減をすることで、年間およそ2億円削減でき、その一部を使って子育て支援の制度を立ち上げた。
そうした取り組みによって、山内さんの真剣さが住民に伝わった。
「役場は本気なんだ。自分たちもやろう」
海士町の変化が始まった。

———町長になって最初にやらないといけないと思ったのは、町役場の職員の意識改革でした。役場の職員にとって住民の皆様はお客様であり、そのお客様のために我々は行政サービスを提供していくんだということを言い続けました。すると徐々に職員の意識は変わっていき、それぞれ積極的に何かをやろうとする流れができてきました。まちが変わっていく際に、それは大きな力になったと思います。

海士町では10年ごとに「総合振興計画」を打ち出している。山内さんが町長になってから初めて策定されたのは2009年の第四次海士町総合振興計画であるが、その計画は「島の幸福論」と名づけられ、少なからぬ住民も直接参加してつくられた。住民を始め多くのひとにその計画を知ってもらおうと工夫を凝らした冊子もつくられるなど、そこには山内町長の、住民の目線に立った変革への意志がはっきりと表れていた。前編で紹介した「巡の環」の阿部さん、隠岐國学習センターの豊田さんが島に移り住んできたのもその計画の始まりと前後していて、またその頃には役場の意識改革もだいぶ進んでいたのだろう、行政、住民、島の外のひとたちが一体となって島が大きく変化していったのだ。

———島は確かに変わりました。しかし問題は今ももちろん無数にあります。みなさん持ち上げてくれますけど、わたしたちは成功したなどとは思っていません。あくまでもチャレンジし続けている状態です。みなのがんばりがある程度かたちになってきたことは確かですが、立ち止まったら島がなくなるという状態は今も同じなのです。

「危機感は持たなければいけない。しかし悲壮感を持ってはいけない」。山内町長はそのように言ったが、まさにその通り、気持ちは前向きでありながらも現状を冷静把握して必要な策を講じていくというスタンスが、ひとつひとつの言葉から伝わってきた。