アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

TOP >>  特集
このページをシェア Twitter facebook
#43
2016.09

挑戦し続けることの力

後編 「もの」と「ひと」の両面から目指す、幸せな島づくり
2)島の子も、島留学の子も「グローカル」な視点を
隠岐國学習センター センター長 豊田庄吾さん(1)

豊田さんは福岡県大牟田市の出身。最初に島を訪れた2008年には東京の人材育成会社で働いていた。そんなときに、縁あって島に呼ばれ、島前高校で「出前授業」をしたことを機に、センターの立ち上げに携わることになった。ちなみに豊田さんの地元大牟田市も人口減少が深刻なまちだ。豊田さん自身そういうなかで育ってきたこともあり、地域を元気にしたいという思いがあるのだという。
2009年から海士町に移り住み、隠岐國学習センターができた当初からそのセンター長を務めている。

センターは、高校と連携を取りながら、ひとりひとりの進度に合わせたカリキュラムで学べるようになっている。生徒が自ら学習するのを支援する「教科指導」と、対話や実践を通して自分の興味や夢を明確にしていくための「夢ゼミ」の2つを軸として指導を行う。魅力化プロジェクトでは、生徒の学力向上やキャリア教育の充実が謳われたが、その点でセンターが大きな役割を果たしているといえる。

_MG_8256

_MG_8164

_MG_8265

豊田庄吾さん。海士町の教育改革において大きな役割を果たし、島外からの講演依頼も年間何十本も来る / 隠岐國学習センター。島前高校のある高台の麓にあって、学校帰りの高校生が来やすい立地

豊田庄吾さん。海士町の教育改革において大きな役割を果たし、島外からの講演依頼も年間何十本も来る / 隠岐國学習センター。島前高校のある高台の麓にあって、学校帰りの高校生が来やすい立地

豊田さんによれば、去年だけで行政視察で2,000人が海士町を訪れ、その半分が教育視察だった。それだけ、国内随一の成功例のように見られている。確かに、ログハウスのような温かな印象がするこの学習センターには、心地よく学習できる空間と、学習支援をしてくれる充実したスタッフがそろっていた。また、私が海士町に訪れた初日に立ち寄ったときには、シンガポールの大学生らが10人ほどセンターにいた。話を聞くと、島前高校の生徒との交流の一環で訪れているとのことだった。そうした点からも、アクセスの容易ではない離島とは思えない、開かれ充実した学習環境が整っているような印象を受けた。しかし実際のところはどうなのだろうか。

———メディアはどうしても、いいところだけを切り取ります。本質ではないところがクローズアップされ、すごく順調に見えるように紹介されることもありました。でもそれは現実のすがたではありません。僕はむしろいまでも危機だと感じています。おそらく10年以内に、また島の子どもがすごく減る年がありますし、たとえ今の状況がよく見えたとしても、それが簡単に続くわけではないのです。

現在抱えている問題の例として豊田さんが挙げたのは、生徒の数が増えてきたことによって生じるさまざまな問題である。たとえば、初期のころにやっていたのと同じようには「夢ゼミ」などを行うことができなくなってきた。また、生徒が増加すればそれに伴ってスタッフの確保も重要になってくるが、規模が大きくなるにつれてそうした点でも困難が生じるようになってきたという。スタッフには島外から海士町に移り住んでもらわなければならないが、それだけを考えても適任者を見つけるのは容易ではないことが想像できる。

そのようにいくつかの問題について話してくれたが、なかでも大きな問題は、島内と島外の子が一緒に学ぶという、この島の”売り”とも言えることが逆にもたらす難しさだと、豊田さんは言う。

———島根県では1学年21人を切った状態が3年続くと、高校は統廃合されることになります。島前高校は2008年には28人になり、当時の小中学生の数を見たら2015年前後には廃校になる可能性が高いという状況でした。そこで足りないぶんを外から呼ぼうというのが、島留学のそもそもの始まりでした。実際に来てもらったら、都会から来た子は、海士の子に比べて積極的な子が多い。それは島内の子に刺激になり、がんばろうという気持ちを起こさせることになりました。しかしその一方、何か新たなことをやろうと企画してお金を引っぱってきたりすると、手を挙げるのはほとんどが島外の子だったりする。
島外の子は思ったことをはっきりと言葉にしたり、率先して物事を決めたりするのに対して、島の子はあまりものを言わない、空気を読むといった傾向もあるという。

そのようにせっかく異なる環境で育った子どもたちが一緒に学んでいるのであるから、豊田さんたちは、子どもたちにグローバルな視点と、ローカルな視点を合わせた「グローカル」な視点を身につけてほしいと願っている。しかしそこにも少なからず壁がある。

———島の子たちにグローバルな視点を取り入れてもらおうと授業を組むと、いつか授業が全部英語になってしまうのではないか、このままでは地域の学校ではなくなってしまうのではないか、と心配する声も聞こえてくるのです。自分たちがやろうとしていることを理解してもらうのは簡単ではないと感じています。

島の子どもと都会の子どもが半々ずつぐらいでひとつのクラスをつくって一緒に学ぶ。それはこれまでおそらく日本のどこにおいてもなされていなかったことであろう。それはとても魅力的な試みでありながらも、実際やってみると想像以上の難しさがあることが豊田さんの言葉から伺えた。