アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#43
2016.09

挑戦し続けることの力

後編 「もの」と「ひと」の両面から目指す、幸せな島づくり
1)島唯一の高校を、新しく生まれ変わらせる

海士町には島根県立島前高校という、この島唯一の高校がある。
2000年代、海士町の過疎がもっとも深刻な状況にあったころ、生徒数はどんどん減り、一時は廃校寸前にまで陥った。そして生徒の数が減ると、さまざまな問題が平行して発生する。たとえば教員の数も減らされることになり、科目ごとに専門の教員を確保することが困難でじゅうぶんな学習指導ができないといったことにもなってくる。悪循環が続いていった。
島唯一の高校が廃校になれば、中学を卒業した子どもたちの進路は必然的に決まってくる。島を出るしかなくなるのだ。その年齢の子どもたちがみな島を離れてしまえば何が起きるか。”愛島心”が育つ前に島を出ることになるために、島に戻ってこようと思う子はますます減ることが予想される。そうなれば、いずれ島自体が立ち行かなくなることは目に見えていた。

そこで高校を立て直すことが海士町にとって急務になった。
2006年ごろから、役場の担当者、高校の教員が中心となり、さらには外部からもひとを呼んで、改革が始められた。紆余曲折があり容易に状況は変わらなかったが、2008年には「島前高校魅力化プロジェクト」が動き出す。廃校寸前の高校を「存続させる」という、どちらかといえば後ろ向きな意識を捨て、子どもたちが積極的に行きたいと思うような「魅力的な学校」にしようという意識がこのプロジェクトの名前には込められている。生徒ひとりひとりの夢の実現へ向けたカリキュラムの見直し、学力の向上、キャリア教育の充実、部活動の魅力化、地域との連携、などの実現を目指してプロジェクトが始まった。

その具体的な取り組みのなかで、学校を変える転機のひとつとなったのが、「第一回観光甲子園」(2009年)への参加であった。高校生が自分たちの暮らす地域の観光プランを考えて競う全国コンテストで、これに参加した島前高校はグランプリを受賞したのだ。生徒が自信をつけるきっかけになり、彼らが計画した「ヒトツナギツアー(*)」の実現の際には、地域のひとたちや島外からの参加者との交流も生まれ、高校には変化の兆しが見えるようになった。翌年の2010年には、島での暮らしを体験しながら高校生活を送りたい子どもを全国から集める「島留学」も始まった。
こうした試みが功を奏し、高校は起死回生の復活を遂げる。多くの子どもたちを島に呼ぶことに成功し、生徒数は大幅に増えた。過疎地域の高校のひとつモデルとなるような学校に生まれ変わったのだ。

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島前高校は海を望む高台にある。訪れた日には、シンガポールの大学生たちが自国の文化を高校生に紹介するプレゼンテーションを行っていた / 図書館では外国に関する書籍と、島や海士町に関する書籍がディスプレイされていた

滞在中、島前高校を見学させてもらう機会を得たが、かつては各学年1クラスだったのが、今では各学年2クラスになっていた。半分ほどが島留学プログラムで島外から来ている生徒である。島内・島外の生徒が一緒に学び互いに刺激し合うことで、とてもよい教育環境ができあがっているように見えた。

そのように高校が変化していく過程においてもうひとつ大きな存在だったのが、2009年に開かれた「隠岐國学習センター」だ。学校だけでは対応が難しい学習の支援を、高校と二人三脚で行うことを目的に開かれた学習の場である。
その立ち上げに関わったのが豊田庄吾さんなのである。

(*)……隠岐ノ島島前3島(西ノ島町、海士町、知夫村)を、地元と島前地域外の中学生、高校生がめぐる4泊5日の旅。
http://www.dozen.ed.jp/news/2009/0128-0916.php