アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#42
2016.08

挑戦し続けることの力

前編 隠岐諸島海士町の取り組みの今
5. 「今がピーク」かも、という危機感
島のお宿 「なかむら」・居酒屋 「紺屋」 中村徹也さん(1)

「居酒屋 紺屋」に18時ごろ到着すると、すでに店内は賑わっていた。地元民や I ターンのひと、そしてシンガポールから海士町を訪問中の大学生たち。島の多くのひとに愛されているというこの店を営むのは、中村徹也さんである。

中村さんは海士町で育ったが、高校から島を出た。ミュージシャンになりたいという思いを抱きつつ、料理を学び、飲食店で働きながら、東京、大阪、松江で18年間暮らしてきた。その後中村さんは海士町に戻り、両親が営んでいた旅館「なかむら」を継いだ。その隣に開いたのが「紺屋」である。つまり、中村さんはUターン者なのである。

海士に戻ってすでに8年。中村さんのお店には、I ターン者も地元のひとも、さまざまなひとが訪れる。Uターンの中村さんは、いわば、I ターン者と地元のひとの間に位置する存在だといえる。島の暮らしも知り、都会の生活も知っている。その上で、島に戻るという選択をした。

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島では老舗の宿。島の文化・政治の中心、中里地区にある / 中村徹也さんは4代目主人

———Uターンの人間は、島にはそれなりにいます。今自分は40代前半ですが、僕らぐらいの世代で生まれてからずっとこの島にいる人間なんてほとんどいない。地元出身で今この島にいるのは、ふつうみなUターンです。自分と同じ年の海士町出身者が40人ぐらいいて、そのうち今こっちにいるのが7、8人。島を出たきり戻ってこないひとたちは、戻る場所がないっていうのもあるんですよね。戻って来ても知らないひとばかりだし、居場所がない。僕はこういう商売をしているから、そういう友人らに、いつでも帰ってこいって言える場所を提供したいという気持ちがあります。それがうちの場合、お金にもつながるっていうのがあるからできるんですけれど。

海士町への熱い思いが見え隠れするが、中村さんは「郷土愛みたいなものは自分は特にないですよ」、と照れながら言う。しかし、賑わう店内を見ていると、ここがすでに海士町になくてはならない場所になっていることが感じられる。
ここで、毎日いろんなひとと言葉を交わす中村さんは、今の海士町にどんな印象を持っているのだろうか。

———住んでいる僕らからしたら、今の海士町は、音楽でいう ”一発屋” という感じでしょうか。海士町がすごい、という話をメディアではよく聞くけれど、そういう実感は全然ない。この町が有名になっているのはマスコミが取り上げるからで、こんなのは続かないって思っています。確かに I ターンのひとは多いし、ぼくは仕事柄、ここ3年くらい彼らにターゲットを定めて商売を展開してきたけれど、今がピークかなという気がしています。そういう危機感がありますね。

マスコミがいいように取り上げることによって、「すごい」という印象が当事者以外にバブルのように膨らんでいくという現象はよく理解できる。島で暮らし、この店で毎日多くのひとと会うなかで得た中村さんのその実感は、重く響いた。

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