アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#42
2016.08

挑戦し続けることの力

前編 隠岐諸島海士町の取り組みの今
3. 諦めないこと、プロセスを見ていくこと
株式会社 巡の環 阿部裕志さん(3)

海士町が抱える問題の根底には「一次産業」だけでなく、「次世代」のこともあると阿部さんは言う。
一次産業を盛り上げるとともに、この島の未来を担っていく人間をどうやって育てていくのか。

阿部さんたちはそうした問題意識のもと、一次産業への取り組みに加え、教育や広報的活動など、自分たちができることを積極的に行ってきた。そのひとつがたとえば、島外のひとに向けての「海士五感塾」なのであるが、阿部さんはそうした活動の積み重ねによって、海士町を「持続可能な地域」にすることを目指してきた。阿部さんの考える「持続可能な地域」とは、いったいどういうものなのだろうか。

———地域の課題は、永遠になくなりません。たとえば、教育がよくなっても一次産業がまだまだだとか、今は医者が2人いるけどどちらも高齢、10年後はどうなるのか、というように。そういうなかで、一番大事なポイントは「諦めないこと」だと考えています。諦めないで挑戦できるかどうかが、「持続可能」というときに何よりも重要なのではないでしょうか。そのためには、何があろうと絶対にやりきろうという気持ちのひとが、世代ごとに3人以上いることが必要だと思っています。ひとりでは浮きます。2人だとけんかしたらおしまいになる。だから、3人必要なんです。今の海士町の課長たちの世代には、3人以上確実にいます。だから強いのだと思っています。

今や阿部さんがその次世代のひとりであることは間違いない。地元の多くのひとが阿部さんに対してそのような気持ちを抱いていることも、その後の取材を通じて実感した。まさに阿部さんはこの島が持続可能な地域となるためのキーパーソンなのだった。

だがその一方、この小さな島でみなに期待され、何かを求められることはときに大変だったりもしないだろうか。私も、島に2日ほどいただけで、複数のひとに自分の存在が目撃されていたことに驚かされた。そんなことを尋ねると、阿部さんは率直な気持ちを教えてくれた。

———ひとの温かみと煩わしさは同じカードの表と裏だと思うんです。僕は都会で育つなかで温かみがほしくなった。それで海士町に来たんです。だから、煩わしさや近さのようなものもあって当然と思っています。近ければもめごとも起こります。
でも、都会と違うのは、島の限られた人口のなかでは、全員取り換えがきかないということです。都会の会社組織だったら、合わない人間がいれば辞めてもらって合うひとを入れればいい。しかし田舎では、誰かを嫌いだからと追い出したら、替わりはいません。一人一人の人間が、縁あって、役割があってここに住んでいるという感じがするのです。
そうしたなかで、今の自分にも役割がある。それは、地元のひとが大切にしていて、守りたいと思うものを守ることです。そのためには多少摩擦が起きようがどうしてもやらなければいけないことがある。今はそう思って動いています。仕事で東京などに行くことも多いのですが、そうなると地元のひとに「お前も変わったな」みたいに言われることがあり、それは僕としてはとても辛い。本当はいつもこの島にいたいんです。だけど今は、仲良くなるより、成果を出すほうにモードを切り替えたという感じがあるのです。

「自然の温かみのなかで生きたい」「持続可能な地域をつくりたい」。阿部さんはそのような純粋な気持ちをモチベーションに活動を始め、今もそうした気持ちを持ち続けている。そして島で暮らすなかで、それはただの気持ちでは終わらずに、はっきりと現実を見据えた方策として具体的なかたちになってきた。農家の代弁者となるために自ら動く。島の特産品を自ら広めて売っていく。島を島外のひとにとっての学びの場と位置づける……。

海士町は島外から「まちおこしの美しき成功例」とみなされて、モデルとされる存在となっている。そのキーパーソンとして広く認識されている阿部さんは言う。「海士町の今の状況を成果と捉えて成功と判断するのもものすごくナンセンスだと思います」と。

———今うまくいっているように見えても、そのあとにもずっと道は続いています。成果というのは、永遠に続くプロセスのある瞬間についていえることにすぎません。実際は、その「成果」といわれるものをつくってきたひとたちが次々に抜けていくし、それを危機だととらえて「次は俺たちがやるんだ」というひとたちが育っていかないといけません。私たちは今その点で島に貢献することに全力を注いでいます。また、この瞬間の「成果」だけを見るひとは、島がこれまで経てきた過去にも目を向けてくれていないように感じます。
海士町の地域づくりを考えるときにひとつとても大きいのは、20年ほど前まで続いていた「青年団」の活動です。各時代の若い世代が、青年団として地域を盛り上げるさまざまな活動を行ってきた。その積み重ねがあってこそ、今がある。そうした文脈を知ったうえで、今の状況を見てほしいなと思うのです。そうして、単なる成功事例と捉えないことによって、海士町の取り組みやここで起きてきた変化を知ってくださった他の地域の方たちに、それを自分たちの地域に合ったかたちで生かしてもらえるのではないかなと思っています。

この島で生き、島の状況に真摯に向き合っているからこそ、数々の問題が見えてくる。成功やゴールなど決して来ないこともわかってくる。海士町が地域活性化のモデルのような存在とされるなか、阿部さんのそうした思いこそ、広く伝わらなければならないはずだ。それでこそ海士町は、他の地域の本当のモデルになれるのだろう。

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(上から)島をあげてのソフトボール大会に遭遇。住民総出の一大イベント / 海士町にいると「キンニャモニャ」という言葉を一日に何度も目にし耳にする。キンニャモニャは海士町発祥の隠岐民謡である。海士町の自然、文化、人情が歌いこまれ、人々の「生き抜く術」が秘められている。海士町最大のイベント「キンニャモニャ祭り」は毎年8月の第4土曜に開催

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