アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

TOP >>  特集
このページをシェア Twitter facebook
#41
2016.05

幸せに生活するためのデザイン 雲仙小浜から

後編 「ソーシャル」の本来的なありかたを実践する
5)「種」に導かれ、新しい生活にふみだす
奥津爾さん(1)

城谷さんが刈水庵をオープンしてから、地区のようすは変わりはじめた。
ひととひとが交差する結び目であり、文化が育まれる拠点が生まれたことで、まわりが息づいていったのである。
住民とのコミュニケーションが自然なかたちで取れてゆく一方で、近くに草木染めの工房「アイアカネ工房」が移転してきたり、ベーカリー「テラハウス」も週1回オープンするようになった。
さらには、東京から移住してきた家族が刈水庵にやってくるようになって、新たな展開も始まった。農業や食を手がける奥津爾(ちかし)さんと妻で料理家の典子さん、その子どもたちである。奥津さん夫妻はマクロビオティックのエッセンスに基づいた「オーガニックベース」を主宰し、カフェをはじめ、料理教室や通信講座を運営したり、他業種と共同してイベントを手がけるなど、幅広い活動をつづけている。
爾さん(以下、奥津さん)はこれまで、生まれ育った吉祥寺を拠点としてきたし、越してくる前は城谷さんやその活動も知らなかった。雲仙とかかわる直接のきっかけとなったのは農業、もっというと「種」である。

奥津爾さん

奥津爾さん

———現在、日本で栽培されている野菜の99.9%は、品種改良されています。その多くは、種をまいてもちゃんと育たないんです。画一的な工業製品的な野菜が流通して、その土地の風土に根ざしたクラフト的な在来種の野菜は消えていっている。それはちょっとおかしいだろうと。雲仙には80種類くらいの種を守っている岩崎政利さんという素晴らしい方がいて、僕はその方の生きかたやありかたに感動したんですね。

岩崎さんは日本でも屈指の「種採り農家」だ。1980年より有機農業をはじめ、在来種中心の作付けをして、消費者に直接届けることを続けている。奥津さんは岩崎さんに出会ったことで、日本の古来種の野菜と種、その生産者をフィーチャーしたイベント「種市」を始めた。一方、移住先を探していたころでもあったから、雲仙という土地にも惚れ込み、移り住むことにしたのだった。

———地元の吉祥寺は、10年ほど前までは独立性を保ち、多様性のある街だったのに、今はチェーン店ばかりの「小さい渋谷」になってきていて。子育てもしにくいし、震災があってから、日本全国をまわって、移住先を探すようになりました。北は北海道から南は九州まで、全国20ヵ所以上。そのなかで、まちに行ってしまったら、吉祥寺と同じことをやってしまいそうだと思った。飲食店をつくって、イベントをやって、というのはもうつまらないと思っていたころだったんです。
で、岩崎さんに会いに雲仙行こうと半島に入ったら、その素晴らしさに感動したんですね。岩崎さんの畑ももちろんよくて。にんじんの花が咲き誇る時期だったんです。そこで家族に「ここでよくない? 雲仙にしようよ」といって。家内も子どもたちも「ここがいい」と。

そののち、奥津さんは雲仙のあたりを車で距離にして500キロ、不動産屋100軒以上を見て回った。そのなかで、いちばんよかったのが「小浜」だった。

———物件の契約を済ませてから、城谷さんや刈水庵を初めて知ったんですけど、いいカードひいたなって思いました。刈水庵はモダンでハイクオリティですよね。吉祥寺にいるときはクラフト的なカルチャーよりの場所で生きていたので、城谷さんのモダンデザインの解釈って新鮮でした。ちなみに、僕の知り合いと、城谷さんの知り合いは見事に違うんです。それもすごく楽しくて刺激がある。家にWi-Fi環境がなかったこともあって、妻と代わる代わる、ノートパソコン持ってきてここで仕事してますね。刈水庵があるかないかで生活の豊かさが違います。

刈水庵は生活や仕事に必要な、そして城谷さんや山﨑さん、古庄さんなどひととのつながりも育める大切な場所となっている。
今のところ、奥津さんは「雲仙在住、時々吉祥寺、福島」というスタイルで生活している。吉祥寺にはスタジオ兼アトリエとして「マンマ」を持ち、そこで料理教室や食のイベントを開催する。また、運営していたカフェ「ヒトト」は閉店したが、福島市でぜひ、と請われ、出店することを決めた。しかし、ベースはあくまで雲仙小浜だ。

———東京にいるときは24時間働いていました。大げさだけど、都市部にいると働いてしまうじゃないですか。金とハードワークですよね。家にもほとんど帰らないし、家族で食卓も囲まないし、飲食店をやっていたから土日もない。子どものイベントに参加もできないし、小学校の運動会にも、幼稚園の入園式にも行けない。何のための仕事か、って話ですよね。
今では6時には仕事をやめて、夕食は必ず家族と食べます。温泉釜で地の野菜や海の幸を蒸したりして。ほんのり塩味ついて、風味が深まって美味しいんですよ。料理人の友人たちもよく来るんですけど、ビオワインなんかと合わせて、いろいろ蒸して食べて、めちゃくちゃ幸せ、みたいな。本当に幸せな生活をしないと、ここに来た意味がないと思っているので。
東京や福島の仕事がなくなったら、ここのホテルとかで仕事見つけます。月に17〜18万円稼いだら、じゅうぶん暮らしていけますからね。たまたま今やりたい仕事をやらせてもらってますけど、そうじゃなくてもここなら幸せに一生をまっとうできますから。

奥津さんは月3万5千円で一軒家を借りている。全部で8部屋、庭には家庭菜園できるスペースもある。東京と月1回往復しても、年間100万円は節約できる。「これまで何やってたんだろう」というとおり、精神的にも物理的にもゆとりのある生活を送っているのだ。