アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#41
2016.05

幸せに生活するためのデザイン

後編 「ソーシャル」の本来的なありかたを実践する 長崎・雲仙市小浜、大村
3)土地の知恵を生かし、アイデアを生む
スタジオシロタニ・山﨑さんと古庄さん3

ふたりは刈水地区に住んでいるが、20代、30代の若者は他にいない。
城谷さんに目を開かれて、自分なりの仕事と生きかたを考え、実践しているけれど、いわゆる限界集落にいることをどのように感じ、どうふるまっているのだろう。聞いてみたら、ふたりは思った以上に環境を受け入れ、なじんでいた。

———僕がみんなと全然違う道に進んだから、友だちもよく遊びに来てくれるんですが、来るとみんなびっくりしています。僕の住んでいる家は、窓を開けたら向かいのおばあちゃん家の窓があるので、窓越しにおばあちゃんとおしゃべりしたり、ごはんをもらったりするんです。友達が来ていたときも「おるかー」「はいー」ってやりとりしてたら、「古庄、何やってんの!? いつの時代なの?」ってすごく驚いていました(笑)。
小浜が商人のまちだからかもしれないですけど、みんなめちゃくちゃ世話焼きなんですよね。なにか一言言いたいみたいな。「洗濯物干しっぱなしにしてるけど大丈夫か?」って刈水庵に言いにきてくれたり。
福岡にいた頃はマンションでひとり暮らししてたので、最初はこの“近さ”にびっくりしたんですね。近すぎるし、プライバシーもなくて、どうしようかと思いました。楽しいけど続くのかな、って。でも不思議なもので、僕も少しずつここの一員というか、村人になってくるんですよね。性格もあると思いますけど、僕は慣れちゃったんです。
プライベートと仕事の区別がない、地続きがいい作用だけ生むということはないかもしれません。でも僕の場合は、プライベートでも仕事でも、お互いに影響し合うことの喜びのほうが勝っているんです。(古庄さん)

その土地に応じたひととの距離があり、生活のしかたがある。それに、人口の少ないまちや村では、声のかけ合いがないほうが不自然なようにも思う。古庄さんのいう通り、ひとにもよるだろうけれど、都市の距離感に慣れた若い世代にとっては、密な付き合いも新鮮な体験で、心地よくも感じられるのかもしれない。
ふたりはそうして、地元の方たちから多くを学んでもいる。“何でもできる”おじいちゃん、おばあちゃんを、心底すごいと思っているのだ。

———まわりのおじいちゃんおばあちゃんは、本当に何でも知ってるし、何でもできるんです。野菜のつくりかたも知ってるし、先祖に供えるお花も自分で育てて、魚を釣って自分で捌いて。僕もいろいろ教えてもらっています。魚の捌き方も、隣に住んでいるおじいちゃんに教えてもらいましたし。とても素敵な生き方だと思っているんですね。(古庄さん)

———守備範囲がほんとに広いです。しかも、自分がどこまでかかわるか、察して把握するんですね。とても知的だな、と。たとえば、みなさん毎週水曜日は近隣の掃除にあてておられますが、その限りではない。刈水から出ることがあれば、歩きながら雑草一本抜いていくことを自然にされるんです。だから、地区はいつもきれいなんです。(山﨑さん)

ほどなく、ふたりの仕事にも、ここでの生活の知恵が反映されていく。たとえば、家の修理をお金をかけずに簡単にこなすおじいちゃんのやりかたが、デザインのちょっとした工夫から新しい価値を生み出すアイデアの素にもなる。それこそが「伝統を継承し、現代に生かす」仕事ではないだろうか。山﨑さんや古庄さんは、城谷さんに教わったことをこの土地で実感しながら、少しずつかたちにしているのだろう。

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地区のなかでは、気づいたひとがきれいにすることがごく自然に行われている