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#275

昭和ノスタルジー
― 上村博

昭和ノスタルジー

(2018.07.08公開)

昭和は遠くなった。昭和生まれの人間はすでに中高年で、街をあるく10代、20代はみんな平成生まれである。ずいぶん前から、平成生まれのひとたちが「昭和の匂い」という言葉を使っていたようだが、ついに自分自身の娘から「昭和の匂い」という言葉を聞くはめになった。昭和の匂いはオッサン臭い、爺ムサイということにも通じるだろうが、それだけではない。性別や年齢層を超えた、あるまとまった過去の時代の匂いである。また否定的にのみ使われるのではなく、昭和の匂いにノスタルジーを感じるひともいよう。
実際、人間、年をとると後悔も多いが、時には過去を肯定したくなる。自分自身もくたびれ果てた今より昔が良いだろうし、今時の若者よりも昔日の若者のほうが頼もしく見えるのは常のことである。昭和に生まれ育った人間にとって、昭和の日々を肯定するのは、自然なことだろう。そんな積極的な意味での昭和の匂いは、「昭和レトロ」と言われるほうが多いかもしれない。谷中や青梅など、昭和レトロの風情をアピールする町も増えた。狭い露地、くたびれた木造の軒先、安普請の看板建築など、かつてはそんなにありがたくもなかったはずのものが、ひとたびノスタルジックな視線を向けられるや、魔法にかかったかのように、優しく暖かな情景に一変する。いまは過ぎ去ってしまった昔日の甘い懐かしい思い出に、一抹の寂寥が混じり込む。
ノスタルジーは、かつてはスイスの風土病だった。17世紀にホーファーというバーゼルの若いお医者さんが博士論文でそれをとりあげ、スイスを離れた若者たちが故郷を懐かしむあまり異常を来す病気を「ノスタルギア」と命名した。Nostos(帰還)とalgos(苦しみ)の合成語で、帰りたいという欲求がもたらす苦しみ、というような意味だ。ノスタルジーは、17-18世紀にはスイス特有の病気と見なされていたが、故郷を離れ、異国で辛い思いをするのは、何も出稼ぎのスイス人に限らない。近代になって、多くの人々が田舎から都会に移り住むようになるなかで、ノスタルジーはどんどん普通の心理状態を指す言葉に変わっていった。命名された当初はスイスという山国を恋い慕う病気だったが、今はノスタルジーというと、むしろ「過去」を懐かしむ、という意味になっている。ノスタルジーを地理的・空間的なものとしてではなく、時間的なものとして考えたのは、おそらく哲学者カントが最初であろう。カントによれば、ノスタルジーに囚われた者は故郷を恋い慕うのではなく、故郷で家族や友人たちと過ごした幼少年期を恋い慕っているのである。場所を失ったことが辛いのではなく、幸福な時代を失ったことが辛いのだ、というわけである。だからこそ、故郷に帰っても幻滅が待っているだけだ、なぜならそこには自分の少年期は存在しないのだから。
この最後のところには、ひょっとしたら異論もあるだろう。故郷に帰って幻滅するどころか、喜びを感じるひとも多い。「海が見えた。海が見える。五年振りに見る尾道の海はなつかしい」という、林芙美子の『放浪記』の書き出しを読むだけで、筆者のうれしさが直截に伝わってくる。しかし、その場合も、ただ故郷という土地に足を踏み入れることが大事なのではなく、自分にとって生き生きとした、充実した時がよみがえってくるということが喜びなのだ。各地を転々とした林芙美子にとっても、多感な少女時代を送った尾道はとりわけかけがえのない土地である。彼女にとって、尾道は、単に地理的位置でも住環境でもなく、なによりも彼女の青春の記憶に結びついた場所なのだ。
ノスタルジーはひとそれぞれに感じる時と所とがあるだろう。しかし、昭和ノスタルジーは、単に個人の問題だけでもないように思われる。人生のなかで歴史のなかで昔を懐かしむ、という以上に(さらには過剰なまでに)昭和は懐かしまれているのではないだろうか。昭和を懐かしむ気運は平成になって盛んになってきたように思われる。
昭和時代は、高度経済成長期に限らず、右肩上がりが意識された時代である。貧しいながらも暖かい家族、青春を共にした仲間たち、がむしゃらに働いた会社の同僚。みんな前向きで上向きな雰囲気が強調される。実際のところ、昭和には、裏寂れた、意地悪で、陰湿な出来事もいっぱいある。金子光晴というひねくれものの詩人はさらりとそのあたりを言ってのけるが、だいたい昔の都合の悪いことは思い出さないものだ。そして全体としての右肩上がりの雰囲気が記憶される。たしかに昭和は、世界恐慌や、戦争という大災難に見舞われながらも、おおむね着々と人口も増え、物価も上がり、給与も増え、家々は建ち並び、都市は拡張した時代である。「ああ、家が建つ家が建つ、僕の家ではないけれど」と中原中也がうたったのは昭和11年だ。その後、戦後の景気や高度経済成長が続く。日本列島で歴史上こんなにヒトやモノが増えたことはない。昭和という騒然とした時代がいわばひとりの人間の成長期にあたるとしたら、これから老い行く個人がその青春を懐かしむように、いまや昭和という成長期が懐かしまれているのだろう。それは個人というより社会のノスタルジーである。
昭和は遠くなった。もういつの間にか、人口が減りつつある。しかし昭和生まれの人間はまだまだ多数派である。人口ピラミッド(もはやピラミッドというよりキノコやツチノコに近いのだが)の分厚い層が、細まりつつある根元の部分を圧倒して、昭和の記憶を保っている。昭和ノスタルジーは当分続くだろう。しかし「昭和の匂い」という言葉にかわって、「平成の匂い」ということも言われ始めるのだろうか。「平成」は無臭な気もするが、しかし平成は平成で、「匂い」でなくても、おそらくきっと鞏固なノスタルジーを作るだろう。何と言っても、もうすでに30年続いた。90歳のひとでも人生の3分の1、60歳以下なら人生の半分以上は平成の世を過ごしているのだ。そういえば、平成の記憶を残す博物館を構想している大学院生がいた。平成ノスタルジーのブームは近い。