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アネモメトリ -風の手帖-

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#262

水蒸気
― 上村博

nuage

(2018.04.08公開)

もやっとした生ぬるい風である。春たけなわ、いやもう春行き過ぎるころの空気である。これからは湿り気の季節だ。そして京都の湿気は、いまにかぎらず年中そうかもしれない。
東京生まれの谷崎潤一郎が関西に来て書いた『細雪』では、さかんに関東のカラッとした風と温潤な関西の気候が対比される。大阪の旧家の四人姉妹の話だが、長女は婿入りした夫が転勤したため東京に住んでいる。しかし長女の家(つまり本家)で暮らすべき未婚の三女・四女は、何かと理由をつけて芦屋の次女の嫁ぎ先に居続けている。その理由は本家の人間関係が気詰まりなことと並んで、東京の乾いた埃っぽい風になじめないというものだ。そう言われれば、たしかに関西の空気はしっとりしている。さらにはぬるっとしている。谷崎潤一郎は関東大震災をきっかけに関西に移住したが、そもそも艶っぽく、こってりしたものを愛好する谷崎には、関西の空気が好ましかったのだろう。生活の気分もその湿り気に関係するだろうし、文化も多分に影響されるのではないか。それにつけても思い出すのは、かつて仏文学者の桑原武夫が東京の小さん(三代目)の落語を聞いてちょっと物足りなく感じたという話である。小さんはたしかにうまいが枯淡でさっぱりしすぎである、東京の人には「ぬめっとした」上方の春団治の味がわからない、と言う(「序にかえて」富士正晴『桂春団治』所収、1967年)。たしかに、関西の話芸はTVで流通しているお笑いとも少し違って、ぬめっとした、しかし実に奥ゆかしい湿り気があるように思う。自然環境と文化とをあまりに直接に結びつけるのは単純過ぎるかもしれないが、ひとの語り口も振る舞い方も、湿度にまあまあ影響されるのではないだろうか。
昔、文化財保存科学の先生に、今日だだっ広い草原となっている平城宮址の地下には、たっぷりと水が貯まっており、そのおかげで遺物が朽ちずに埋蔵されているという話を聞いたことがある。地面の下の水分ということであれば、京都盆地の下も水脈がなみなみと通っていて、京都市街はいわばプールの上に薄皮を載せているようなものかもしれない。東には琵琶湖があり、西の亀岡盆地も昔は湖だった。南にはつい昭和の初めまで巨大な巨椋池があった。地面の下の水と、地面の上の湿り気と、水気にひたひたと満たされている。その濃密な水気のなかで蒸し暑がったり、底冷えに悩んだりする京都人である。京都の底冷えついでに書けば、数十年前に北海道の北端近く、利尻島に行ったことがあるが、利尻の人に京都から来たと言うと、いきなり「京都は寒いよねぇ」と言われたことを思い出す。それはともかく、京都の湿潤な気候が育て、保っている文化も多いだろうし、他所から運んできたものは湿気やら黴やら染みに冒されて変質するものも多いだろう。焼きたてのバゲットだって、京都の空気のなかではじきにしんなり固くなる(パリではパキパキに固くなる)。
しかしまた、京都や関西だけが湿っているかというと、はたしてそうだろうか。世界的に見たら日本列島全体が湿り気がある。以前、LPレコードというものがあった。ぴったりと透明なフィルムで包装された輸入盤を手に入れて、そのフィルムを剥がすやいなや、レコードジャケットがみるみる撓りはじめてびっくりしたことがある。おそらく海外の乾燥した空気のもとで密封された厚紙が日本の水分の多い空気にさらされて変化したのだろう。つい「海外」と大雑把に書いてしまったが、もちろん、東南アジアや霧の多いイギリスなど、ほかにも湿気た土地はある。それでも日本の降水量は世界平均の倍、おとなりの中国の2.5倍ほどである(国連食糧農業機関データAQUASTATによる)。ユーラシア大陸の東沖合に、しっぽりと水気に包まれた島嶼が連なっているのである。水に囲まれ、水蒸気に覆われた日本列島は、水がらみの自然災害も絶えない反面、水の恵みも享受している。自然景観も、お茶、お酒、料理も着物も糸竹の遊びも、水をたっぷり吸い込んだ空気、土壌、植物、動物に由来する。
数年前、北海道の港町に住むかたの音環境についてのレポートを読んだことがある。レポートとしての内容も良かったのだが、文章表現としても面白かった。明け方に凍てつく海のほうに耳を澄ます。すると朝日を受けた海面から水分が揮発し、その立ちのぼる音が聞こえるようだ、という話である。その文章を読みながら、水蒸気が氷結してきらきらと輝くさまが目に浮かぶようだった。関西の穏やかな靄に包まれた風景とは違うが、それも水蒸気の作る独特の風景だろう。