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#257

学び、生きること
― 早川克美

学び、生きること

(2018.03.04公開)

「旅において出会うのはつねに自己自身である。自然の中を行く旅においても、我々は自己自身に出会うのである。旅は人生のほかにあるのでなく、人生そのものの姿である。」

これは哲学者・三木清の言葉だ。この言葉の意味を最近あらためて考えている。すべての出会いや分岐点は、決して受け身ではなく、自らが選び定めてきたことなのだと感じる。自己効力感はもとより、後悔や反省も、弱い自分の選択に他ならず、どんな道をどのような足跡を残してきたかは、まさに自己自身なのだ。そして、私は、どう生きていくべきか、について幼い時から何故か(笑)ずっと悩んでいる。

ここに、これまでの人生で何度となく読み返した本がある。最初に三木清を引いておいて、突拍子もないようだが、ずっと憧れている、人生という旅を全うした人間の生き方がある。あくまでも作品の中のその人物の生き方、司馬遼太郎著「花神」の主人公、大村益次郎、その人だ。

大村益次郎は、日本近代兵制の創始者であり、高杉晋作の没後に、奇兵隊を倒幕に向け再編成し、大政奉還後に発足した官軍における事実上の総参謀を務め、戊辰戦争の勝利に貢献し明治維新確立の功労者といわれた人である。
周防国吉敷郡(現在の山口県山口市)の百姓に生まれた村田蔵六(後年大村益次郎と改名)は、新しい蘭学・洋学を学びたい一心で郷里を発ち、大坂適塾に緒方洪庵らを師として研鑽を積み、抜群の成績を上げ塾頭にもなった。医師として故郷防長に戻った蔵六だったが、ずば抜けて洋書を解読し、著述もできた彼は、様々な出会いによって、四国宇和島藩の軍艦建造に招かれ、それを機に洋学普及のため、江戸で私塾「鳩居堂」を開き、幕府の研究教育機関(蕃書調所のち開成所)でも出講するようになる。ただ、人と交わるのが不向きな蔵六は、出世をしても自らを売り込むことはせず、その45年の一生を愚直なまでに「技術者」でありつづけるのだ。彼の一生はまさに技術者としての旅そのものだったといえる。

自らの出来ること、なすべきことのみを見据え、芯を持って生き抜くこと。初めてこの本を読んだ高校生の時、その貫ききった生き方に美しさを見、震えたことを今でも覚えている。少し先の未来を予見しながら、ひたむきに学び続けた益次郎の生き様を、潔く美しいと感じたのだ。と、同時に、多感な年頃の自分には、どうして男に生まれなかったのだろう、女でどこまで貫ききることができるのだろうか?と不透明きわまりない将来に絶望したりしたのは懐かしい感傷である。もちろん、今は女性として生まれたことに後悔はない。

とにかく、美しい生き方に憧れ、何か迷うたびに、大村益次郎を思い返すという奇妙な癖がついてしまったほど、感銘を受けたのだった。なのに、益次郎の年齢を超えた自分は、まだまだ迷い多き道にいる。優秀でもない平凡な自分にとって、大きな功績を残すことは大それた望みであり、もちろんそこに目標を置いてはいない。ただ、自分の芯を持ち、貫いて生ききることができれば、そうありたいと、日々を重ねている。

思考は柔軟に。
益次郎が技術を積み上げていく過程で、とてつもなく柔軟に様々なことを吸収していたことを、凝り固まった自分の思考への戒めとしたい。

志は強く貫けますように。
逆境にびくりともせずに歩み続けた益次郎の生き方を、私なりに追っていきたい。

「人はそのひとそれぞれの旅をする。人生そのものが実に旅なのである。」
最後にふたたび三木清の言葉を。

学び、生きる私の旅はどうやら相当鈍行のようである。そして、かなり美しくない。納得するのにいちいち躓くのだが、憧れを胸に、一歩一歩進んでいきたいと願っている。

参考文献 ”人生論ノート”三木清、新潮文庫 ”花神”司馬遼太郎、新潮文庫