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アネモメトリ -風の手帖-

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#231

プカプカ
― 川合健太

プカプカ

(2017.09.03公開)

外苑キャンパスの掲示板に気になるポスターが貼り出された。紙面全体はうすいグレー色で、最初に見たときには掲示板に大きな余白ができたようだった。目をこらすと細長い船のシルエットが描かれていて、その下には「ル・コルビュジェの浮かぶ建築」とある。これほど静かな印象で目立たないポスターを見るのも珍しく、その主張のない無彩色のポスターが気になったのと、ル・コルビュジェの浮かぶ建築のことが知りたくて、ASJ TOKYO CELLというギャラリーに出かけた。

展覧会は「アジール・フロッタン再生展」と言って、『アジール・フロッタン』=『浮かぶ避難所』の再生プロジェクトの支援と、日本においてその関心を高めることを目的として開催されていた。なぜ、ル・コルビュジェの浮かぶ建築が浮かぶ避難所なのか。そして、再生プロジェクトとはどういうことか。

1915年、第一次世界大戦時、鉄と石炭が枯渇していたフランスにおいて、セーヌ川を経由してパリに石炭を水上輸送する必要があり、250隻を超える鉄筋コンクリートの船団が作られた。(鉄筋コンクリートと船という組み合わせは、かちかち山の話で、水に沈んでしまうタヌキの泥の船のような不安感を抱いたが、潜水夫の水中監査によるとおよそ100年後の現在でも鉄筋コンクリート船の浸水性に問題がないことが保証されたそうだ)そして、第一次世界大戦後、石炭輸送の仕事を終えて残されていた一部の船のうち、リエージュ号(それぞれの船に戦争で罹災したヨーロッパの都市の名が冠されていた)を買い取った救世軍が、第一次世界大戦後の混乱により帰る家を持つことができなくなった難民のための避難場所として改修するべく、当時、近代建築の5原則を発表し、現在では世界遺産にもなっているサヴォア邸の設計を終えたばかりの42歳のコルビュジェに船のリノベーションを依頼し、1929年に名前を新たにルイーズ・カトリーヌ号(死後、パートナーを通して船の購入、修復の資金として遺産を救世軍に寄付した女流画家の名)としてアジール・フロッタンが竣工した。それから約60年間、セーヌ川の上で難民や貧しい人々の避難場所で在り続けたが、やがて老朽化が進み、1995年からは無人の船となり、2006年、放置されていたアジール・フロッタンを近隣のボートハウスに住む5人の有志が救世軍から買い取り、文化施設として蘇らせるために再生プロジェクトを発足させ、改修を重ね、今秋に日本から当初のデザインを再現した桟橋も寄贈される予定で、2018年からはギャラリー機能をもった浮かぶ建築として再生されるに至っているということだ。*

展覧会場では、資料性の高いパンフレットが配られ、大きなサイズの船の模型や当時の写真、CGなどを用いて、過去から現在、浮かぶ建築が受け継がれて再生されていく様子が丁寧にわかりやすく展示されていた。特筆すべきは、コルビュジェがこのアジール・フロッタンの空間にも近代建築の5原則(屋上庭園、ピロティ、水平連続窓、自由な立面、自由な平面)の理論を実践していたことだ。そのことについても、コルビュジェの習作クロッキーを添えて、詳しく解説がなされていた。それにしても、文字通り、地に足がついていない空間が、約100年間も水面に浮かんで存続し、そしてまた新しく生まれ変わろうとしていることに何よりも惹きつけられる。そもそも川に浮かぶ石炭船を難民のための避難所にしようという発想の転換にも驚かされたし、そのオーダーにコルビュジェが見事に応えていたことも今回の展示で初めて知った。また、そうした背景を受け継いで後世に残そうと奮闘する人々の活動に触れ、大いに刺激を受けた。

気がつけばこの日は東京展の最終日。セーヌ川に浮かぶギャラリーを訪問できる日は近いと、楽しみをひとつ増やして会場を後にした。

水澄みてセーヌプカプカ避難船 牛蒡

*:アジール・フロッタン再生展パンフレット(編集・デザイン・テキスト:西尾圭悟、嶋田翔伍)、アジール・フロッタン再生のためのクラウドファンディング募集チラシ(実行者:ル・コルビュジェの船再生委員会、一般社団法人日本建築設計学会)による
画像:ASJ TOKYO CELLの展示風景(筆者撮影)

展覧会は東京展の後、横浜、大阪、山口と巡回するそうです。
詳細は以下のサイトをご参照ください。
http://www.asileflottant.net/