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#229

学生から受けとるもの
― 大辻都

学生から受けとるもの

(2017.08.20公開)

春から夏の一学期はとにかく必死で駆け続けるので、苦しいながらも時間が経つのは意外に早い。「空を描く」の担当順も瞬く間にやってくる。8月半ばの今どきは、前月末に終わった通学部授業の試験の採点や課題レポートの成績つけ、通信科目の添削、外部の授業の評価などに多くの時間を費やす毎日だ。
8月になると4か月間毎週顔を合わせていた通学部の学生たちと急に接触がなくなり、時の流れが変わったことを実感するが、評価のためにレポートを読んだりコメントシートをめくったりするうちに、学期中は何気なく接していたのに、かえってひとりずつの顔や発言が蘇ってきたりする。
最近、扱っている情報量が多過ぎるのかそれとも老化か、記憶力がとみに衰えていて、自分からアクセスした情報、読んだ内容など次々忘れてしまうのが悩みなのだが、学生、とりわけ若い学生が授業中や休憩時間に発言したことは、不思議とその時のやりとりとともに後々まで覚えていたりする。レポートの内容も同様だ。
それはかならずしも重要なことでもなくて、彼らの好きな漫画や音楽のタイトルだったり、彼らが反応する日常のテーマなどである。中年を過ぎた身には、二十歳前後の目から見える世界とそれに対するリアクションがただ珍しく新鮮なだけかもしれない。そうだとしても、学期ごとに彼らから「教わった」と感じるものはいくつもあり、それは楽しいことだと思える。
大学での私の守備範囲は文学、語学から論述まで「ことば」に関わることなので、授業も課題もいきおい「ことば」がテーマになってくる。一学期15回の授業のなかでは、好きな歌の歌詞について語らせることもあれば、持ち寄った本の紹介をし合うビブリオバトルを開催することもある。その歌の歌詞のどこがどんなふうにいいと思えるのか、音源とともにグループごとに発表してもらうと、それぞれ違うグループから同じ歌や歌い手の名が挙がることがよくある。それは子ども時代に聞いたアニメソングの場合もあるが、米津玄師など最近のアーティストの場合もあって、いずれにしても共通するのは学生たちには広く知られているのにこちらがその存在を知らないことだ。彼らが「すごい才能」だという米津玄師のいくつかの歌とともに、今学期はルワンダにもルーツを持つベルギーのアーティスト、ストロマエも教わり、語学のクラスのなかでミュージックヴィデオを楽しんだ。
本についても同じことが起きる。活字離れが言われるが、彼らがまったく本を手にしないわけではない。ただこちらが勧めるような本を読んでいないというだけだ。ビブリオバトルのテーマ(条件)を「文庫本」と設定し、文庫本であれば小説でもエッセイでも実用書でもジャンルを問わないことにすると、出場者たちはこちらが予想していないタイトルを次々挙げてくる。シャノン・カークのサスペンス小説『メソッド15/33』、やなせたかしのエッセイ『アンパンマンの遺書』、深見じゅんの漫画『ぽっかぽか』、イラスト入りで日本中の仏像を紹介する『日本の仏さま』……
その他、ファンタジー、ライトノベル、ゲームの原作、はたまた思いもかけない昭和の作品など、同じ日本語で流通している本ながらこちらのアンテナでは捉えることのないものが、学生たちの間では共有されていたりするのが面白い。賞品(教師のハワイと東京出張土産)につられて出場し、『日本の仏さま』で勝利したのは「ことばの授業って苦手なんですよね」と言い訳していたデザイン系の学生だったが、みごとに魅力的なプレゼンだった。
一回生への学期末レポートとその経過プレゼンは、大学でこれから書くべきレポートの形式と考え方を学んでもらう重要な場と位置づけている。ふたクラス全員の講評は手間がかかるとはいえ、彼らの頭の中を覗き見られるまたとない機会である。
レポート・論文でもっとも肝心なのは問いを立てることだが、一方でこれほどむずかしいこともない。といって、ただ好きに調べたことをまとめるというのでは練習にならないので、今学期はテーマは自由とし、ただし「疑問形でタイトルをつける」ことを条件に書いてもらうことにした。そして集まったのは、たとえばこんなタイトルだ。
「荒木飛呂彦が描く『ジョジョの奇妙な冒険』は独特な絵なのになぜ人気があるのか」、「宮崎駿のアニメーション作品に登場する立体建造物が人々の心を掴む理由は?」「『かわいい』にはなぜ個人差があるか」「地域ごとに遊びの文句が違うのはなぜか」「工業デザイナー・水戸岡鋭治のデザインした列車はなぜ乗りたくなるのか」……
芸大生ならではの問いが多く、列車の内装のデザインについてなど考えたこともない身としては意表を突かれる。それ以外には、SNSの影響といった身近な話題や同性愛、学習障害などメンタルなテーマもあり、さまざまな対象への彼らの興味が窺い知れる。
「別腹は本当にあるのか」は問いそのものとしてインパクトがある成功例。だがとりわけ刺激を受けたのは「画家・永山裕子のパレットは汚いのに美しい絵ができ上がるのはなぜか」というレポートだった。経過報告のプレゼンで学生が見せてくれた水彩画の美しさに比して、制作者のパレットはすべての色が混じり合い混沌と化している。画家としては異例であるらしいパレットの一見したところの汚さが、重厚感と透明感を併せ持つ作品制作にじつは貢献しているという内容で、論述の形式はともかく、一回生とは思えないすぐれた批評になっていた。
講評や採点は教師にとってはもちろん学生への教育の一部であり、労働であり、それは締め切りに追われている時間でもある。だがその内ではじつに多くの出会いが体験され、こちらもまた受けとり続けているようだ。蓋し豊かな時間ということである。