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#223

手と口で味わう道具
― 加藤志織

手と口で味わう道具

(2017.07.09公開)

断捨離(だんしゃり)という言葉がある。モノを所有することに対する執着心をなくす、あるいはモノへのこだわりを捨てることを意味する近年つくられた造語だ。そして多くの人々がモノにかんするこうした態度に共感している。逆に言えば、こうした現象は、いかに人間がモノに固執し、モノを蒐集せずにはいられない生き物であるのかを指し示している。
かくいう私もモノに魅入られた一人である。とりわけ麗しい形や色彩によって構成された美術と呼ばれる造形物に心ひかれる。しかし幸か不幸か、美術作品とは一般的にきわめて高価な商品でもあり、それを気軽に購入し身辺に置いて楽しむことなど通常は許されない。モノとして所有できないからこそ、私はその意味や歴史的な位置づけを知ることで知的に満足するべく美術史に関心をもった。
だが人の手によって生み出された魅力溢れる品々(美術作品という名称には値しないかもしれない)が、世の中に手頃な値段で存在していることもまた事実である。たとえば日常用いる食器には、赤や黒の衣装をまとい優しい光沢を放つ漆器、さまざまな意匠がこらされ料理を多彩に演出する陶磁器などがある。もちろんこれらは絵画や彫刻のような観賞目的のために制作された逸品ではなく実用の道具だ。そこに人間の高邁な精神が直接表現されているわけでもない。しかし我々の生活に密着した愛すべき友である。
道具である以上、それは使われなくてはならない。食器であれば、その内部に液体や固形物を入れたり盛ったりした上で、手にとられ、口をつけられる。もちろん実用品であっても、外観には目で見て楽しむための要素が求められるものではあるが、同時に使い勝手のような、道具と身体との一体感といった触覚的な要素も必要とされる。
それが格段に重要となるのは、食卓に設置されて用いられる皿や鉢ではなく、手に持って使われる碗(あるいは椀)やドンブリの類いだ。碗よりも小さく、掌にすっぽり収まる陶磁器製の猪口(ちょく)やぐい呑みはとくに指と口唇で賞玩される対象としてふさわしい。内部に注がれた酒を味わうための酒器ではあるが、器としての本来の役目を離れて、掌のなかで転がされ愛玩されることで何とも言えない蠱惑的な触感を使い手に提供してくれる。
こうした魅力は洋の東西を問わず食器などに広くみられるが、それが端的に表されているのが東アジアで制作され使われてきた陶製の猪口などである。同じ酒器でも、それはガラス製で薄手のワイングラスなどとは大きく違う。後者は、ワインの味そのものを引き出すように工夫された極めて優れた道具ではあるが、手がふれるのは細いステム(脚)だけ、しかも指とステムの接触面が最低限となるようにデザインされている。また口とガラスとの接触が味覚によけいな影響を与えないように飲み口も薄く仕上げられている。
このように酒を入れ、飲むための容器ではあっても、文化によってその有り様は異なる。日本で猪口やら徳利あるいは抹茶茶碗などが蒐集やこだわりの対象となる理由は、それが見るだけではなく、触って楽しむためのものでもあるからだろう。お気に入りの酒器を手の上で転がし愛でる行為は、時代錯誤で不健全な骨董趣味の極みであるとの誹りを受けるかもしれないが、我が国において猪口のような道具が手と口で味わわれ、触覚的な愉悦が享受されてきたことは文化的にも非常に興味深い現象である。

*画像:猪口(渋草焼)