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アネモメトリ -風の手帖-

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#151

ほたてのひかり
― 川合健太

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(2016.02.21公開)

空間デザインの参考になるからと勧められて、栃木県の益子にある、その名も『益子参考館』を訪れた。都内から車で高速を走ることおよそ2時間。日陰にはまだ雪の残る季節だったが、丘陵地の南面に位置する参考館の一帯は柔らかな日差しに包まれ、萱ぶき屋根はいぶし銀に光り輝いていた。道路脇のこんもりした土塁に生えた草は短く刈り込まれていて、たっぷりと陽の温もりを蓄えてつい寝そべりたくなる。土塁の切れ目を曲がるとどっしりした長屋門が建っていて、そこが参考館の入口である。門の脇に設けられた小さな受付でパンフレットを受け取ると、以下のような説明があった。

濱田庄司記念益子参考館は、陶芸家濱田庄司が、自らの作陶の参考として蒐集した品々から受けた恩恵と喜びを、広く一般の方々と共有し「参考」にして欲しいとの意図で、自邸の一部を活用し1977年に開館しました。田舎の健やかな生活から生まれた濱田庄司の世界観を、自然豊かな館内で味わっていただければ幸いです。*1

なるほど、個人の蒐集した品々を展示する施設は多くあるが、「自邸の一部を活用」していることがこの施設の特徴であり最大の魅力であるようだ。門をくぐって敷地に足を踏み入れると、すぐさまその魅力の虜になってしまった。敷地内には1930年に母屋となる民家(現在は陶芸メッセ益子内に移築保存)が移築されてから、「昔ながらの暮しというものを、私自身の力で少しでも残せたらという願いからであった。」*2と濱田自身も記述しているように、1977年の開館に至るまで、およそ50年の間に近村にあったひと昔前の民家や長屋門、石蔵などの移築が繰り返され、じっくりと時間をかけて生活と仕事の場が築き上げられ、今では敷地内に生えるクヌギや樫の木立の中に埋もれるように馴染んでいる。最初にくぐった長屋門を1号館として、石蔵の2号館、3号館、もうひとつの長屋門の濱田庄司館、民家の4号館、工房、登窯と、丘陵地の傾斜を利用して数珠つなぎに巡れるようになっていて、それぞれが異なる機能や役割を持った建物であり、適度に歩行が必要な距離を置いて配置されているのが心地良い。また、ふもとから上をながめると、ちょうどそれぞれの建物を斜め下から見る案配になり、ピクチャレスク建築を見ているような風景も楽しめる。そうして起伏のある敷地内をウロウロと歩きはじめるうちに、濱田がここで過ごした毎日の生活や仕事のリズムが自身の体の動きを通してしみ込んでくるような感覚になって、まさに田舎の健やかな生活から生まれた世界観というものが実感できてくるのである。

濱田の輝かしい足跡については館内に掲示されている年表にも詳しいが、そもそも濱田はどのような基準で作陶の参考となる物を蒐集し、この参考館を計画したのだろうか。書籍をひも解くと、以下のようなことが書かれていた。

私は物に出合っていいなと思うときは、私が負けた証拠だ。勝負は一瞬に済み、それから貰うものはほとんど済んでいるがそのとき相手になった品は及ぶ限り手に入れて、いつまでも、品物からうけた恩を大事にしたい。*2

私の蒐集の、私の美術館(益子参考館)の大部分は、伝統的な古い民藝品ですが、その蒐集は、過去への郷愁を生むためではなく、訪れる人や藝術家たちが未来を準備するのを助けるべく計画されているのです。*3

館内には、六十歳を過ぎた濱田が大皿一枚を流掛で装飾し施釉するのに十五秒しかかからないことを見た訪問客から「速過ぎるのではないか?」「たった十五秒しかかからないのに何故そんなに高価なのか?」と尋ねられて、「皿を作るには六十年と十五秒もかかっているのです」と答えている映像が流されていた。はたして私はそのような境地に達することができるのだろうか、そんなことを考えながら、4号館(上台(うえんだい)と呼ばれるゲストハウス)まで足を進めたら、入口脇の縦格子にはめ込まれたものがふと目に留まった。この建物は面積が100坪を超える大きな民家で、何層にもなる重厚な萱ぶき屋根も冠している。しかし、その立派な姿とは対照的に、いかにも脆そうな薄い板が縦格子にはめ込まれていて、その一部など今にも落ちてしまいそうにも見える。それが上の写真である。「これは何だか頼りない素材だな」と思いながら、建物に入る。すると、その印象は一変した。外から見てもわからなかったが、薄い板は仄かに光を透過して、砂色についた板の模様はグラデーションとなって浮かび上がっている。そして、板の重なりは光の透過が抑えられて水平の影を作り出し、縦格子は垂直の影となり、薄暗い室内にまるでステンドグラスのように光と影が交差していたのだ。

さて後日、書店で書籍*4を立ち読み(その後購入)していたら、この板の事が紹介されていた。板と思っていたものは、実は濱田の友人の柳宗悦の考案で、障子紙の代わりに薄く切った貝殻(ホタテ貝)がはめ込まれていて、その貝殻は柳から濱田に提供されたものであるらしい。

そうか、あの時の私は、ほたてのひかりに恍惚としていたのか。
また少し濱田の生活がしみ込んできたようで嬉しくなった。

写真は外から見た縦格子
公益財団法人 濱田庄司記念益子参考館 HP: http://www.mashiko-sankokan.net/
*1公益財団法人 濱田庄司記念益子参考館 パンフレット、2013年
*2『無盡藏』濱田庄司著、講談社文芸文庫、2000年、304頁、11頁
*3『近代日本の陶匠 濱田庄司』水尾比呂志編・著、講談社カルチャーブックス、1992年、48頁
*4『民芸運動と建築』藤田治彦他著、淡交社、2010年、33頁
その他の参考文献
『浜田庄司「窯にまかせて」』浜田庄司著、日本図書センター、1997年
『理想の暮らしを求めて 濱田庄司スタイル』美術出版社、2011年