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#134

レオナルド・ダ・ヴィンチと「アンギアーリの戦い」展を鑑賞して―鑑定と芸術史家
― 加藤志織

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(2015.10.18公開)

8月から京都文化博物館で開催されている、レオナルド・ダ・ヴィンチと「アンギアーリの戦い」展を鑑賞してきた。今回は、本企画展に出品されている《タヴォラ・ドーリア》を入り口に作品の鑑定と芸術史家の役割について考えてみる。
この企画展はすでに東京で公開されているのでご覧になった方も多いはずだ。まず同展の目玉である《タヴォラ・ドーリア》は、1440年にフィレンツェ共和国軍がミラノ公国軍の侵攻を退けた「アンギアーリの戦い」を主題とした板絵(油彩とテンペラによる混合技法)である。
《タヴォラ・ドーリア》は、当時フィレンツェの市庁舎であったパラッツォ・ヴェッキオの大評議会広間の壁にレオナルドが描いた戦闘画《アンギアーリの戦い》に基づいている。ただ誰が何時、どのような目的でこの板絵を描いたのかについてはまだ判明していない。壁画《アンギアーリの戦い》は、堅牢性に優れた伝統的なブオン・フレスコ技法ではなく、レオナルドが細密な描写や描きなおしが可能な油彩画技法を用いたために完成をまたずして絵画面が不安定化、ついには制作自体が放棄されるにいたったと伝えられている。
ちなみに未完の大作《アンギアーリの戦い》が描かれた大評議会広間には、さらにフィレンツェがピサとの戦いに勝利した「カッシナの戦い」が描かれる予定であった。そのためにレオナルドと並び立つ天才芸術家ミケランジェロが招聘され、原寸大の巨大な下絵が準備された。しかし、結局、前者は広間の改修時に新たな壁を上塗りされて消失、後者の下絵も早い時期に失われてしまい、現在は両者共に模写が伝えられるのみである。
イタリア・ルネサンスを代表する二大巨匠の競演、原作が共に消失し謎も多いこともあって、これら二作品については古くから多くの専門家が注目してきたが、まだわからないことは多い。そうした謎を解明する手がかりの一つが《タヴォラ・ドーリア》である。ちなみにこの作品は日本の東京富士美術館によって1992年に合法的に購入されたものであるが、その後、同美術館によってイタリアに寄贈され、フィレンツェ国立修復研究所で科学的な調査を受けることになった。その結果、《タヴォラ・ドーリア》は、大評議会広間に《アンギアーリの戦い》が描かれた時期とほぼ時を同じくして制作された可能性が高まり、その重要性は高まったのである。
フィレンツェ国立修復所において、X線や蛍光紫外線などを用いた分析が実施され、さらには支持体(絵が描かれている板)である木材の補強などがおこなわれた。こうした一連の調査・修復作業や作品の来歴(制作者や制作年あるいは発注者の特定、その所有者の変遷など)を明らかにすることは、芸術作品研究の基礎に位置づけられる。こうした芸術作品の科学的・実証主義的な分析なくしては、もはや芸術史が成立しないことは明白である。
とはいえ、こうした調査・分析によって《タヴォラ・ドーリア》の制作者(ひょっとしてレオナルド・ダ・ヴィンチ?)が解明されるかといえば、おそらくそうではない。制作者の解明にはいわゆる狭義の科学的な検証だけでは不十分で、線の引き方や、彩色の仕方といった芸術家の特徴を明らかにする様式的な分析が必要である。しかし、線の引き方や、彩色の仕方といった形式的な要素に共通するある種の特徴を把握し、それを手がかりに分析する方法には、主観性から完全には免れられないという欠点もある。芸術史家は、ある芸術家に特有な形態的・色彩的特徴を、別の芸術家のそれと区別しながら客観的に説明しようと努めるが、その一方で作品から直感的に看取された印象に基づきながら様式的な特徴について判断してもいる。ここに様式に基づいた鑑定の難しさがある。
つまり、芸術作品の鑑定には、科学的で実証主義的な分析と芸術史家の経験に基づいたある種の直感的な判断との複雑な共同作業が求められるのだ。また、それ故に科学的な分析家や古文書を読み解く歴史家に加えて、芸術史家という存在が必要とされる。一部の研究者たちは《タヴォラ・ドーリア》の制作にはレオナルド・ダ・ヴィンチ本人が関与したと考えているようであるが、その答や如何に?みなさんも実物を見て鑑定に挑んでみてはどうだろうか。11月23日まで京都文化博物館で公開、2016年3月19日から5月29日にかけて宮城県美術館へ巡回予定。

画像:京都文化博物館 2015年10月11日撮影