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アネモメトリ -風の手帖-

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#132

美術館で溺れる
― 川合健太

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(2015.10.04公開)

ひょんなことから目黒区美術館で開催していた『村野藤吾の建築—模型が語る豊穣な世界』展に行った。建築の展覧会は会場に実物(建物)を持ってくるわけにはいかないので、展示されている模型や図面、写真から建物を解読する作業にのめり込むといつもクタクタに疲れる。今回も案の定、村野藤吾のものすごい仕事量と、京都工芸繊維大学の大学生たちが作ったという模型の緻密さに圧倒されて疲れ果てたのだが、その中でひときわ異彩を放つひとつの建物と出会った。

『小諸市立小山敬三美術館』

模型の脇に記されたコメントに「この美術館を建てるにあたっての小山敬三画伯の要望は、子どもの頃に溺れた川にある岩が見えるようにして欲しいということであった」とある。建築、しかも自分の作品を展示する美術館を建てるにあたってのクライアントの要望としては聞いたこともない不思議な要望である。しかもまたその要望に応えた村野藤吾の建築も不思議である。展覧会で紹介されている模型や図面、写真を見てもおおよそ理解不能な形状をしている。これは困った。建築の展覧会に行くと、たびたびこうしたモヤモヤと遭遇する。このときも数日間、このことが頭の中でひっかかることになり、これは実物を見に行かなくてはどうにも気持ちが収まらないと、長野県小諸市に車を走らせた。

さて、美術館は小諸城址『懐古園』という公園の一角にあった。小諸のまちは浅間山の山裾にひらけ、起伏に富んでおり、懐古園は眼下に千曲川が流れる高台に位置している。浅間山の溶岩が散在する庭を通り抜け、入口でスリッパに履き替えて美術館に入ると、展示室の前室からはなるほど、画伯の要望どおり、遠くに川が見え、蛇行する川の中に岩がある。「あぁ、あそこで溺れたのだな」とようやく小山画伯の心持ちと重なってくる。前室にある、小さな一人掛けの椅子に身を沈め、しばらくして展示室に向かうことにした。(といっても、振り返ればすぐ展示室なのだが)

展示室は一目で把握できるほどの大きさで、部屋の中央に両袖と上部が穿たれた壁が配されていて、その壁のあたりを境にして部屋がゆっくりと左側にカーブし、手前の部屋とカーブした奥の部屋とが何となく分かれているように作られている。そして、壁面には小山画伯の作品が整然と展示されている。
「では、どれどれ。」と、部屋の中に一歩足を踏み入れて、アッ!と驚いた。部屋の床に緩い勾配がついていて、体が前のめりに傾くのである。少し踏ん張らないと足が勝手に進むのである。その勾配に身を任せると、まるで部屋の奥へ奥へと吸い込まれていくような感覚を覚える。慌てて先ほどの前室に戻り、書棚に置いてあった書籍*の図面を確認すると、床には1/20(つまり20m進むともとの場所から1m下がっている)の緩やかな勾配がついているではないか。さらには、当時の工事担当者へのインタビューには「美術館の中は奥に行くほど、ゆるやかな下りの傾斜になっているのです。ということは、入っていくときは、抵抗なく自然に絵を見ながら、奥に入っていくようになっている。そして、帰りの時は登り坂だから、足に多少の抵抗をもたす。そうすると、見て帰る時に名残惜しさというか、そういうものを残しながら美術品を鑑賞していくような設計だ、と(村野藤吾先生から)最初に言われましたね。」とあった。

ほどなくして、気持ちを改めて展示室に戻り、鑑賞を続けた。ゆるやかな傾斜に身を委ね、抵抗なく自然に絵を見て、帰りの時には確かに足に抵抗を感じながら名残惜しさも体感した。そこで、ハタと思い至った。
「どうやらこの傾斜は絵を見て帰る時の名残惜しさを残すだけでない。実は、子どもの頃に溺れた川にある岩が見えるようにして欲しいという要望に端を発し、鑑賞者にも小山作品という大河に吸い込まれ、まるで川で溺れるかのような体験を促すために考えられたに違いない。」
蛇行する壁面に沿いながら、底へ底へと吸い込まれ、底までたどり着いた私はそう確信して、小山敬三川から家路についた。

*村野、森建築事務所『村野藤吾選集 補遺』同朋舎出版、1995年、49頁
写真は小山敬三美術館の前室(休憩室)