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#130

デザインにできること
― 早川克美

sora_77

(2015.09.20公開)

オリンピックのエンブレムの件は,デザインを,国民レベルで考える,問いなおす貴重な機会となった.デザインの有用性について,グラフィックデザイナーまたはアートディレクターの役割について,大きな疑問符が浮かんでいる.
そんな昨今,デザインの力を信じられる出会いがあった.今日はそのことをお話したいと思う.

この9月,自宅に小さな箱が届けられた.箱にはタイトルが描かれており,「今やろう.災害から身を守る全てを.東京防災」.東京都総務局総合防災部防災管理課の編集・発行.都民の防災意識の向上を目的として,東京都が無料で配布しているものだ.
まず,パッケージが良かった.鮮やかな黄色の開きやすい箱には,ひと目で内容物がわかる表記がされており,注意喚起を促し,開けたくなるモノとの出会いを演出している.Appleの製品がパッケージデザインにまで注力していることに代表されるように,モノとの出会いを良好に運ばせるためには,パッケージは大変重要なのだ. さて,箱を開けると,防災ブックと居住区域の防災マップが収められている.防災ブックは次のような内容だ.

・首都直下地震シミュレーション
・備蓄ユニットリスト
・非常用持ち出し袋チェックリスト
・耐震・耐火チェックリスト
・家具転倒チェックリスト
・図説もしもマニュアル
・被災者体験コラム
・防災専門家コラム
・防災クイズ
・防災ワークショップ
・防サイくんパラパラ漫画
・漫画TOKYO “X”DAY

東京の多様な地域特性,都市構造,都民のライフスタイルを考慮してつくられ,知識をつけるだけでなく,今すぐできる具体的な“防災アクション”がまとめられている.複雑な情報を,明快な編集と,線の少ないシンプルなイラストやピクトグラム(絵文字)やダイアグラム(図表)で,知るべき情報を直感的に捉えられるように構成されている.これまで,防災に関心はあってもどうしたらいいのかわからなかったという多くの都民に訴えかける効果を果たしていることを評価したい.細部にわたって,「伝える」という軸がぶれていない,デザインの行き届いている内容であった.デザインとは,このように,生活の中に提示されることで新たな価値を根づかせるものであってほしい.

では,デザインとはいったい何なのだろうか.

人間が生きる環境は,ふたつの事象で成立している.一つは自然が生み出したもの,もう一つは人間がつくったものだ.この2つの大きな違いは,人間の「意図」が作用しているかということである.「意図」とは,自分の,他人の,社会の,なんらかの役に立つことを前提としている.この「意図」されたモノあるいはコトを創りだす行為がデザインだと考える.人間とモノやコトとの関係を考え,意図(目的)をもって意味あるものに変換し,新しい価値として生活の一部にする思考そのものがデザインなのだ.「東京防災」では,防災をテーマとしてわかりやすく伝えるという思考プロセスが見事に昇華されていた.

「東京防災」は,専門家チームによる専門家にしかできないデザインであるが,なにもデザインは専門家のものだけではない.各種サービス,イベント,旅行のプラン,仕事のスケジュール,ゲームのルール,料理のレシピ,コミュニティといった実体をもたないものもデザインの成果であるといえるし,誰もがその行為を実践しているだろう.また,専門家の手によるデザインされたモノを使うときでさえ,私たちは自分流にアレンジをし,集めたり使いこなしたりしている.「自分流にアレンジ」というところにデザインが埋め込まれている.これらは,専門家のものではない,市民のデザインなのだ.毎日の生活でデザインを意識することは,日常生活・生き方を提案していくことにつながるだろう.

さて,「東京防災」は読んで終わりではない.これを手にとって,自分流にアクションを起こすことで,防災に関するデザインを一人一人が実践することとなる.また,そう願いたい.

デザインにできることはまだまだたくさん眠っている.医療・介護・育児・・様々な領域でデザインの力が発揮されることで,様々な課題解決の一助となれるのではないか.デザインの力を信じ,過信することなく謙虚に現実に立ち向かっていきたいと考える,今日このごろである.

追記:
また,「東京防災」は東京オリジナルの防災マニュアルではあるが,他地域にお住まいの方々にも有用な内容となっている.公式ウェブサイトでは,PCやタブレットなどで全編を読むことができるようになっているので,ご覧になられてはいかがだろう.
http://www.bousai.metro.tokyo.jp/book/