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アネモメトリ -風の手帖-

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#126

つきなみ讃1
― 上村博

sora_73

(2015.08.23公開)

つきなみなもの、といえば大概は悪口だ。しかしつきなみなものは大切である。月次(つきなみ)と書けば月々の決まりごと。毎月決まった仕事をやっていくことで時の流れもわかるし、さらにいえば、時を動かしてもいるのではないか。

月々に用意し繰り返されるつきなみなことは、それ自体は平凡で際立っていなくてもよい。むしろその地味 で馴染んだ感じが大切である。水無月の祓い、納涼古本市、残暑見舞い、地蔵盆、などなど。これらは祇園 祭やだんじり祭といった大きな行事ではないが、確実に月日の経過を味わわせてくれる。それには年に一度、 数年に一度の興奮や感激とは別の、ゆったりしたかすかな存在感があればよい。つきなみなものは中身では ない。形であり、影である。それ本体に固執するよりも、それをやり過ごすことが大事なものである。

毎日お祭り騒ぎでは我々の感性は疲弊し鈍感になる。かつて折口信夫は百貨店を「年中市が立っているよう なもの」と言った。商業施設にかぎらず、都市にはまことに刺激的なものが多い。照明も音響も人の数も、 常時熱狂に沸き立っていて、感覚を揺さぶり続ける。そうするとやがて却ってそれに慣れてしまって、年が ら年中同じような光景にしか見えなくなってしまう。さまざまに鮮やかな色彩は人の目を見えなくしてしま い、さまざまに美しい音は人の耳を聞こえなくしてしまう、とは老子の言だ。

しかしそんな町中の喧噪にあっても、つきなみなものはこっそり存在感を持っている。飲食店の軒先に吊さ れた「冷やし中華はじめました」の紙片。あたたかそうなコートの広告。町内の掲示板に貼られた運動会の お知らせ。ひとつひとつは何ということもないし、またさらには近所づきあいや準備が面倒なものもあろう。 しかし日が短くなり、気温も次第に落ち着いてくる自然の移り変わりと同じように、そうしたつきなみなも のは我々のなかにしっくり馴染んでいて、日々の推移を知らせてくれる。それらは生活のリズムを作り、お おげさにいえば自分の存在も実感させてくれる。

派手なイヴェントの設計も大事だが、刻々と過ぎてゆくその日そのときをきちんと意識できるようなつきな みさこそは、なおありがたい。つきなみなものをそんなに作り込む必要はない。日々の食卓で満漢全席はい らないし、乾盃の音頭に1時間も費やしてはならない。ちょうど、音楽の通奏低音のように、つきなみなも のはそれ自身は極度の自己主張をしない。しかしまたそれがあるからこそ、暮らしの起伏がくっきりとその かたちを刻まれる。たまさかの喜びはより喜ばしく感じられ、それらを通じて、一年の充実が感じられる。 それは青春の燃焼に執着することなく、年々歳を取ることを肯定することでもあろう。