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アネモメトリ -風の手帖-

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#110

レモンケーキを探して
― 上村博

sora_57

(2015.05.03公開)

「ああ、懐かしい。」そう言って和歌山出身の友人がレモンケーキを手に取った。那覇の菓子店でのことである。ちょうど季節は旧正月。そのための色とりどりのお菓子が出揃っていたなかに、レモンケーキの黄色の小袋も並んでいた。いかにもチープな古びたお菓子だが、それが那覇でポピュラーなのは、行事の多い沖縄でお重に詰めるのにちょうど良い大きさで、日持ちも良いから、という説がある(はぁぷぅ団編『新!おきなわキーワード』ボーダーインク、2003年)。和歌山と沖縄に限ったことではない。レモンケーキの分布は広いようで、北海道にも九州にもそれぞれの地域の名店があり、昔からのお菓子として懐かしまれている。

しかし、これはそもそもどこのお菓子なのだろうか。 レモンとケーキの組み合わせなら、あるいは南欧の産かもしれない。実際、イタリアのtorta di limone(レモンタルト)などは大変人気があってどこでも見られ、家庭でも菓子店でも作られる。しかしそれはタルト生地の上にレモンクリームを載せて、切り分けて食べるものがほとんどだ。「レモン菓子」(gâteau au citron, cake au citron, lemon cake)と呼ばれるものになると、もう少し日本のレモンケーキに似てくる。しっとりとレモンの香りのするスポンジ生地に、砂糖やメレンゲ、あるいはホワイトチョコレートを載せたものが多い。メレンゲを載せるのはフランスのtarte au citron(レモンタルト)の定番で、19世紀からそうだったらしい。しかし形はいずれも円形か方形、あるいは筒型である。他方でdelizia al limone(レモンの喜び) という小ぶりで丸いお菓子がある。ただしこれもイタリアのソレントあたりで40年ほど前にはじまった最近の工夫らしいし、ちょっと形がまんまる過ぎる。レモン型の小さなスポンジ生地にホワイトチョコのコーティングをほどこしたケーキはなかなかない。

となると、レモンケーキはやはり日本の産なのか。 インターネット上でもレモンケーキの話題はいくつか探せる。その中に、レモンケーキの発祥を銀座のコージーコーナーとする説を紹介した上で、それを読んだ方からメイルを貰い、新たなレモンケーキ「誕生秘話」を紹介しているものもある。それによると、千代田金属工業という会社が30年ほど前に敦賀の菓子屋から依頼を受けてレモンケーキの金属型を開発し、それがヒットして北海道をはじめ全国的に流行した、との話である(http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Hinoki/5742/food/lemon2.html)。型の特許を持っているとなると信憑性は高い。とはいえ、なぜ福井県の菓子屋さんがレモンケーキのアイデアを思いついたのだろうか。しかも、同じくネット上では下田の日新堂菓子店(三島由紀夫に贔屓にされたとのこと)が50年以上変わらぬレシピでレモンケーキを作っている、と謳っている。金属加工会社の方の「30年ほど前」というのは記憶違いなのか。それとももっと前からレモンケーキの基本形ができあがっていて、それを敦賀の菓子屋が大量生産しようとした、ということなのか。ネットの情報なので、いずれにせよ判然としない。

そうこうしているうちに、数年前、たまたま台湾の台中に出かける機会があった。ところが、何とここでもレモンケーキ(檸檬餅)が名物なのだ。しかも「フランス菓子(法国式点心)」とのこと。一福堂という創業90年ほどの老舗の看板商品である。結局フランスから台湾に来たのだろうか、あるいは台湾発祥なのか、と思いきや、この店ではちゃんと商品の由来が説明してあった。とはいえ中国語は読めないのだが、文字面から何となく察するに、一福堂が民国53年に日本から新しい技術を導入して作り、それが今や台湾全土に広まっているとのこと。すると遅くとも1964年には日本でレモンケーキ製造の工程が確立していたということになる。ちなみにこの店のレモンケーキの包装には「Cozy Midi Lemon」と記されている。もしも「Cozy=コージーコーナー」であるとしたら、話は再び一巡して、ひょっとすると銀座のコージーコーナーから50年まえに技術輸入をしたのだろうか。

というところで、いま、発生を巡る探索は頓挫している。ちゃんと調べるのなら銀座と下田と敦賀と台中とソレントに取材に行かなくてはならないだろう。しかし、少なくとも次のことは考えられるのではないだろうか。まず、ヨーロッパではレモン風味のケーキは古くからあったがレモン型は普通ではないこと。日本では、40-50年前には、レモンケーキといえば皆が思い浮かべるその基本形ができあがっていて、それを複数の菓子店が販売していたこと。その後、今から30年ほど前に、金属型の生産が追いつかないほどの全国的な流行が見られたこと。いまでは郷愁をもって食されているなかで、沖縄と台湾では依然としてポピュラーなお菓子であること。

たまたま最近手にして読みかけた本に、エメ・ベンダーの『レモンケーキの特別な悲しみ』という小説がある。他人の感情を味覚で知る能力を持った9才の少女の話である。ある暖かい春の日に、母親がレモンケーキを作っている情景から始まる。小麦粉、バター、レモン、砂糖、チョコレートを使うが、こちらはアメリカの西海岸の話なので、やはりどっしり大きなレモンケーキである。その日は主人公の誕生日で、少女の以前からのリクエストに応えて、母親がレモンケーキを用意してくれたのだ。しかし、ちょうど誰もいない静かな台所で、焼き上がったばかりのケーキをオーヴンからとりだし、端のほうをつまみ食いした瞬間、思いもかけずに母親の暗い悲しみを味わってしまう。春の明るい海岸近くの家で、これまた明るいレモンケーキの色や味わいと、母親の感情とのコントラストはいやでも鮮やかである。
実際、レモンといい、レモンケーキのパッケージといい、また台中の商品の「Midi」の文字といい(この「Midi」は「南」ではなく「台中」の意味かもしれないが)、レモンケーキには明るい南国イメージが果汁の酸味と同じくたっぷりと浸透している。その輝かしい南国性が強調された菓子がなぜ二十世紀後半の東アジアで西洋菓子の代表のように家庭に浸透したのだろうか。それもまた起源の謎とあわせて今後考えていきたい。

(写真は台中のお菓子屋さん店頭)