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#108

アエノコト
― 野村朋弘

(2015.04.12公開)

今月号(2015年4月号)の特集「奥能登の知恵と行事息づく豊かさ」で、取り上げられた「アエノコト」とは、能登半島の先端部である石川県旧鳳至郡と珠洲郡に伝わる農耕祭礼である。
「アエノコト」は漢字にすると「饗の事」となる。「饗」とは供応や馳走のこと。つまりはおもてなしのことである。簡単にいえば、田の神さまに供応する祭礼行事といえよう。
「アエノコト」の他、能登では「タノカンサア(田の神さま)」とも呼ばれている。

この「アエノコト」は、冬は12月5日行ない、春は2月9日に行う家が多い。冬は、稲作を終えて収穫を田の神に感謝するもの。春は豊作を祈願するものである。特に冬の祭礼は厚く行なわれる。
一番の特徴は祭礼行事の内容が、各家によって異なって継承されている点にある。
真言・天台・禅宗を信仰する家では、比較的丁寧なもてなしを行うようだが、あくまで各家の祭礼行事として位置づけられ、地域コミュニティに「こうしよう」という約束事はない。要は家々のおもてなし、信仰に委ねられている祭礼といえよう。

田の神とは稲作を守護する神として、全国各地で豊作を祈願する対象として祀られてきた。
東北地方では農神、農神様などと呼ばれ、山梨県や長野県では作神(サクガミ)、近畿地方では作り神。瀬戸内海周辺では地神(ジガミ)などとも呼ばれ様々である。全国各地の田の神の共通項は、常にその場にいるのではなく、去来する点にある。稲作の過程に神は人々によって送迎される。日本の神観念では去来する神が多い。

こうした田の神は、田にあっては稲作を守り、山に戻っては山の神となると柳田国男は指摘している。つまりは複合的な性格をもった日本の原初的な神観念と深く結びついているもの、それが田の神であるといえる。

奥能登の「アエノコト」の大まかな流れをみると、田で神を迎え、自宅で入浴して頂き、ご馳走を供応する。田で神を迎える(神迎え)際に、夕刻に迎える家と、昼に迎える家がある。
昼にお迎えする家の伝承では、田の神さまが田んぼが寒いから早くきて欲しいと希望されたからとあり面白い。
家それぞれに神をおもてなしする作法が伝えられ、奥能登では続いているのである。そのため、国の重要無形文化財や、ユネスコの無形文化遺産などにも登録されている。

このように日本各地に遺された祭礼は、モノではなく、継承する人々の意志がなにより大切である。「アエノコト」を「民間の新嘗祭」と位置づけた柳田国男をはじめとする民俗学では、現状の伝承文化を切り取ることを重要視し、継承している地域をフィールドワークし、人々に聞き取り調査をして、後世に記録を遺そうとしている。
伝統的な行事はとかく「昔ながらのことを守るべき」と考えがちだが、継承する人々が維持出来なくなれば意味がない。そのため、代を重ねるなかで少しずつ変容していくことがある。
先日、友人の民俗学者に、そうした変化を民俗学の観点ではどう思うのかと質問したことがある。答えは、「祭礼など行事は変容するものだ。その変容を正しく記録することが重要であって、良いも悪いもない」というものだった。
今回特集で取り上げられた、まるやま組のもてなしの作法は、まさに「アエノコト」を継承する変容の一つであり、大切な伝統を受け継いでいる事例といえるであろう。