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#96

目と手
― 下村泰史

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(2015.01.18公開)

「コミュニティ・デザイン」という言葉を聞いたことがある人は多いだろう。山崎亮さんの仕事が注目されるとともに、その著書名でもあることの言葉は広まったのは、わりと最近のことである。この住民や市民とのワークショップを通じたソフトなまちづくりの方法が注目を集めたのは、今の社会状況を考えればある意味当然であるし、多くの人がこうした動きに関心を持ったのはよいことだと思う。
とはいうものの、このブームにはまちづくり技術者の多くは戸惑ったようだ。というのは、まちづくりにおける「ワークショップ」はこれまでも多く行われてきており、すでに多くの実績があったからだ。「コミュニティ・デザイン」に書かれていることが、必ずしも画期的に新しいものとは思われなかったからである。その頃は造園コンサルタントの仕事も、かっこいいランドスケープ設計から、ワークショップによる住民の意見集約に仕事の中心は変わってきた。山崎さんの仕事についても「いい仕事してると思うけどさ」という人も多かったのである。だが、私の見るところでは山崎さんの仕事と、それまでのワークショップ型まちづくりとの間には、大きな違いがある。
それまでのそういった仕事は、「デザイン系」ではなく「計画系」の人が主に担当してきた。そこではワークショップは、創発の場というよりは意見集約と合意形成の場とされてきた。ワークショップからは次の計画の与条件が論理的に導かれなくてはならなかった。それは行政による計画の基礎資料であり、担当課の説明資料としてマイクロソフト・ワードや一太郎で、いかにもといった感じの報告書にまとめられたりするのであった。
山崎さんのプロジェクトの展覧会などを見ると、様相はまったく異なる。それはビジュアルにまとめられ、住民にとっても可読性の高いものとなっている。役所の「理屈」よりも「伝わる」ことが大切にされている。そしてそこには、間違いなくデザインマインドが介在しているのだった。ここに、山崎さんのコミュニティ・デザインが、「デザイン」である所以があるのだと思う。
コミュニティ・デザインをめぐっては、「作らない」デザインだと言われることが多い。「モノ」ではなく「コト」のデザインだとも言われる。ソーシャル・デザインも然り。彼らは物的な実体を作りあげるわけではない。関係を作るのである。
しかし、それは「線を引かない」ことを意味するのではない。むしろ思考、というか思考の動きをリアルタイムで可視化していく、スピード感のある技が求められる。ここで活きてくるのは、鈍重なワープロソフトでも、メモリ食いのドローソフトでもない、体温のあるフリーハンドである。頭の奥に見え隠れするもの、心に兆すものを、つかまえて紙におとすペンなのである。
本学にかつてあった地域デザインコースの教授だった井口勝文先生が、都市設計の課題に取り組むにあたって学生に言っていたことを思い出す。「ひとつの課題のエスキスに、トレーシングペーパーを少なくとも一巻き使うこと」「エスキスはちまちま描かない」「細いペンはつかわない」「太芯のダーマトグラフで勢い良くのびのびと描くこと」等々。どんどん線を繰り出しているうちに、気持ち良く動き出した手が、見たかったもの作りたかったものを教えてくれる。この自由なドローイングの快感とそれを通じた自己とのやりとりには、デザインという作業の創造的な側面の秘密が隠れているように思う。
デザインプロセスの話になると、その概念操作としての側面、論理的な側面が強調されることが多いが、この自由なドローイングのプロセスには、それだけでは捕捉できないものとのやりとりが含まれている。まだ見えないものを求めて動く手と目。ここでは不可視のものを知覚可能にする、芸術の基本機能が動作している。
コミュニティ・デザインについては、造形的なデザインよりも社会学的なアクションに近いものだと考えている人も多いと思う。そういうところも確かにあるのかもしれない。しかしそれは、このデザインが線を描くことから自由であるということを意味するものではないと思う。むしろさまざまな見えない関係を描き出すための、手と目を求めるだろう。またコミュニティ・デザインもさまざまな「場所」や「実空間」、「物質」や「生態」と関わっていく。そうした物的現実と関わる場面でも、線は必要になってくる。
とはいえ、こうした分野に関わるからといって「お絵描きが上手」である必要はおそらくない。そういう「上手さ」は抑圧的に働くことも多い。そうではなく、手を楽しませること、目を楽しませること。何人かでそれをしてみること。そういう身軽さが多分要る。
最近は思考の最初の段階からコンピュータを使うことが多い。文章も最初からワープロで書くし、印刷物のレイアウトもドローソフトの上で考えたりする。でも、それらだけでは活気付かない脳の部分というのがあって、そこを使うのが気持ちよかったり生産性が高かったりするのである。気軽に線を引いてみよう。そしてもう一度落書きをしてみよう。お気に入りの筆記具と気持ちのよい大きさと紙質のノートを持って歩くと、見えるものも思いつくものもきっと変わってくると思う。