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アネモメトリ -風の手帖-

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#87

おみやげの色
― 上村博

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(2014.11.02公開)

「みやげもの」が好きだ。旅先では、つい特産品や名物に目がいってしまう。もちろん、そこで売っているおみやげとはいえ、その土地ではなく、他府県やさらには外国で作られたものは結構多い。また安易なマスコット、下手なゆるキャラの類も氾濫している。それでも、ついつい土産物が並んでいると見とれてしまう。
もともとそうしたフワフワしたお気楽な観光地の雰囲気が好きだという理由もある。しかしまた、この何年かの自分の研究テーマが「ローカル・カラー」だからでもある。「ローカル・カラー」あるいは「地方色」は、元来は絵画の彩色法を指す技術的用語だった。それが200年ほど前に意味がずれてきて、土地の色あい、郷土の特色、そして風土の特徴といった意味に変化する。それは芸術の大きな潮流で言えば、個性や心情を重視するロマン主義の流れに沿うものであったし、また他方で国民国家という考え方の成立と拡張に伴う近代的制度が促進したものの見方でもある。
ローカル・カラーは芸術作品の評価でもしばしば重要視されてきた。たとえば、ヴィクトル・ユーゴーもローカル・カラーを重視したが、それはエキゾチックな舞台設定以上に作品に生気を与えるものとしてであった。また日本でも、樋口一葉の小説『たけくらべ』が発表当時に高く評価されたのは、「ロカアル・コロリット」(ローカル・カラーのドイツ語風表記)があるから、という理由だった。東京の下町の情緒を活写している、というわけである。しかしいまや、ローカル・カラーが重視されるのは、観光という産業においてである。芸術作品の術語や評語といううよりも、風景や場所に不可思議な価値を付与するものとして意識されている。それらは明快さが肝心なので、少々乱暴なまでに月並みである。ブルターニュではリンゴとレース編み、イスタンブルならモスクにハマム、ターバンとカレーのムンバイ、舞妓はんと新撰組の京都。「ローカル・カラー」という言葉自体が使われなくとも、それを探し求め、あるいは強調し、あるいは新たに作り出す、ということは、世界中で熱心に行われている。さらにまた、観光という巨大産業の影響だけでなく、地域のアイデンティティを打ち出すものとしても地方色は強調される。土地の歴史、土地の偉人、土地の産業は教育課程の重要事項であるが、それらの作る特色は、世界、アジア、東アジア、日本、関西、京都、○○町と順々に互換性を保ちつつ細分化され、個人のアイデンティティを規定する。ローカル・カラーは、近代の政治のありかたや思想の傾向が、芸術の世界のみならず日常的なものの感じ方にまで浸透している、非常に興味深い、また代表的な例であろう。
かくいう私自身も研究対象ということとは別に、すっかりその風潮に呑まれてしまった。行く先々でおみやげものを見てひねもす飽きることがない。昔懐かしい名所絵はがき・ペナントに温泉まんじゅう、ご当地漬け物にご当地サイダー、ご当地キティちゃんにご当地アイドルグッズ、最近はやりのスローでエコなプロダクト….。ローカル・カラーを生かしたおみやげの世界は、まことに多様であり、浅きに似てその実深いものがある。