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#73

手工芸品の魅力―徳利―
― 加藤志織

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(2014.07.27公開)

今回は徳利(とっくり)のお話。「とっくり」の他に「とくり」と発音することもある。その用途は、言うまでもなく、液体を入れて貯蔵したり運搬したりするための容器で、陶磁器、ガラス、金属など、さまざまな素材でつくられる。
神前に供えられる瓶子(へいし)やお神酒徳利などは別として、一般的に徳利は日常使いの雑器であった。それは普段の生活に必要な器であり、水を溜めるための甕や穀物を貯蔵する壺、あるいは料理を盛る皿、どんぶり、茶碗、調理に用いるすり鉢、片口などと同じく古くからつくられ使われてきた身近な道具である。
徳利も実用品である訳だから、まずは機能性が求められる。そして安価でなければならない。廉価な実用品と言うと、つい我々は、装飾のない無味乾燥なものを想像しがちであるが、実際には面白い飾りが施されたものや洒落た意匠のものも多い。
たとえば徳利の胴体部分に髭面の男の顔を付けたものや、わざわざ四角形に成型したガラス瓶、そして胴体の一部を故意に凹ませた陶製の徳利もある。とくに陶磁器の徳利には、他にも櫛目や刷毛目を文様として付けたものや、異なる釉薬をかけ分けたもの、または鉄や呉須(ごす)といった顔料で絵付けをしたもの、さらには飛び鉋(とびかんな)と呼ばれる技法で器の表面に規則的な切れ込みを入れたものなど、多様なデザインが存在する。
髭をたくわえた男の顔が刻印されたものは通称、髭徳利の名で呼ばれる。諸説あるが、これはドイツで16世紀頃からつくり始められ、その後19世紀まで焼かれた。好評だったようで、似たようなものがヨーロッパの他の地域でも製造され、さらに日本でも交易によって江戸時代に持ち込まれたものが珍重され写しもつくられた。塩釉の特徴である釉薬の濃淡と一説には「王の顔」とも言われる髭面が、独特の風合いと温か味を醸し出す。胴にはしばしば貼花の文様が施され、男の顔の裏側には必ず取っ手が付けられている。手づくりだからこそ出せるこの素朴さにひきつけられる人は多い。
濃い緑褐色をしたガラス製の瓶は、ケルデル瓶と呼ばれるもので、これもやはりヨーロッパでつくられ、日本には江戸時代にオランダの東インド会社によってワインなどの酒の容器として持ち込まれた。ケルデル瓶は中の酒が消費されると、今度は日本の醤油や酒が詰め込まれ、東南アジアやヨーロッパへとはるばる運ばれた。
その四角い形状によってケルデル瓶は、限られたスペースを無駄にすることなく効率的に荷積みでき、また隣の瓶との接着面積が大きく安定性に優れていたために、運搬にも適していた。瓶の肩に付けられた刻印以外にはこれといった装飾がなく、まさに大量生産の実用品であるが、これもまた手づくり品特有の不思議な魅力をもっている。ちなみに江戸時代、日本から酒などの輸出が増えるとケルデル瓶の数が不足し、長崎県の波佐見でコンプラ瓶と言う磁製の徳利が大量につくられて、その代用とされた。
日本においても徳利は各地で焼造されてきた。たとえば九州の有田周辺、近畿では丹波や信楽、中部地方では現在の岐阜県多治見市北部が大規模な産地であった。とりわけ多治見市北部は、江戸後期から昭和初期にかけて、生産品を徳利に絞ることによって生産効率を上げ、他地域を凌ぐ圧倒的な数を製造した。
同地で幕末以降につくられた徳利は、持ち運びに便利なように首に縄を巻くための段差が注ぎ口の下に設けられている。縄が徳利から外れないように、この段差は時代を経るにつれて大きくされた。こうした機能性の向上と同時に、品質管理によって、ひとつひとつの製品の形状差もわずかとなり、しだいに均整がとれてはいるが画一的な工業製品へと変化するのであった。その結果、徳利はどんどん面白みのないものとなり、轆轤(ろくろ)による手づくりが、第二次大戦後に石膏型を用いた製法にかわると、その手工芸品としての魅力はすっかり見られなくなる。
しかし幕末以前の徳利は素朴な魅力をもっている。たとえば、徳利の胴体を三方向から手で押し、単調な造形に変化をつけたものがある。これは、わざわざ一手間かけて徳利の内容量を減らす、すなわち道具としての機能をあえて損なうような行為ではあるが、その形状はどことなくユーモラスで手に取る者の気持ちを何故かほっとさせる。限られた条件のなかで陶工が考え出したささやかなデザインだが、経済性と効率性に囚われた我々にとっては、これこそまさに一服の清涼剤と言えよう。おそらく手工芸品の魅力のひとつは、こうしたことに由来しているのであろう。