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#190

「伝統」としてのヒーロー
― 森田都紀

「伝統」としてのヒーロー

(2016.11.20公開)

    先日、家電製品を購入するために、電気量産店を訪れた。その折に、おもちゃ売り場を横切ったときのこと。さまざまな「ヒーロー」のフィギュアや変身グッズが、広いフロアに所狭しと並んでいるのを目にし、その存在感に圧倒された。戦後まもなくの日本に「月光仮面」が現れてから、はや60年。平成の時代のいまも、ヒーローたちの戦いは続いていたのだ。テレビを見れば、さまざまなヒーローものが子ども向けに放映されていて、親子3世代のヒーローになりつつなるものもある。毎年、ヒーローの容姿や演じる俳優は変わり、テーマも少しずつ変化していくが、それらはシリーズ化されて脈々と続いてきた。日本には、八百万(やおよろず)のヒーローがいると言えるだろう。しかし、改めて見てみれば、ほとんどのシリーズが1960~70年代にその原型が創られていて、平成の時代のオリジナルではない。子どもにとってヒーローものは、いまや「伝統文化」に位置づけられるエンターテイメントになっていると言えようか。
    こうしたヒーローものに登場するヒーローの一般的なイメージとしては、決してあきらめずに逆境に立ち向かっていこうとする姿であるだろう。ときに彼らは、線路に迷い込んだ子犬を助けるために、新幹線を力づくで止めたりもする。弱い者を労り、互いを助け合おうとする気持ちを訴える姿からは、彼らが戦いを好まず、平和を望んでいたことが窺えるだろう。また、70年代に放映されたあるシリーズでは、ヒーローが子どもたちに「誓い」を投げかけているのだが、その内容が興味深い。それは、①腹ペコのまま学校に行かないこと、②天気のいい日に布団を干すこと、③道を歩くときには車に気をつけること、④他人の力を頼りにしないこと、⑤土の上を裸足で走り回って遊ぶこと、というもの。これを見ると、ヒーローものは子どもたちに日常生活のモラルを説こうとする、教育番組と言えるのかも知れない。
    一方で、90年代後半に普及したインターネットの波に乗り、いまやヒーローものは子どもだけではなく大人をも巻き込んで進化している。インターネットは、潜在的に存在した大人のファンだけでなく、“イケメン”俳優にときめくお母さんたちをも繋いだ。そして、大人を連帯させ、イベントやグッズの購買に向かわせる。玩具メーカーが番組のスポンサーになっているから、わずか30分ほどの番組のなかでヒーローは数々のアイテムを格好良く使って見せる。ヒーローが使ったアイテムは瞬く間に販売され、その仕様は目まぐるしく更新されていく。玩具メーカーやゲームメーカーと連動したキャラクタービジネスがインターネットによって幅広く展開したことにより、海外においては、こうしたコンテンツを通して日本への親近感が深まっているのも見過ごせない。
    日本のテレビ番組にて「伝統」的な立場を担ってきたヒーローものは、現代においてはテレビの枠を超えて、これまでないほどに多様な形で発信されている。あり方を少しずつ変容させながら、展開しているのだ。その変化の速さや程度に違いはあるにせよ、変容していく姿こそが文化と言われるものの常態ではないかと思うのである。