アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

空を描く 週変わりコラム、リレーコラム

TOP >>  空を描く
このページをシェア Twitter facebook
#68

神の身体
― 加藤志織

sora_15

(2014.06.22公開)

今週はキリスト教における神の表象、とりわけその身体の表象について考えてみたい。キリスト教美術はその長い歴史のなかで、神の体をさまざまに表現してきた。しかし、そもそもキリスト教においては、ユダヤ教やイスラム教と同じく偶像崇拝が禁じられていることを忘れてはならない。キリスト教で偶像崇拝が問題視される根拠は、モーセの十戒に、いかなる像も造ってはならないと記述されているからである。偶像の制作だけではなく、もちろんそれを礼拝の対象とすることも禁止されている。
とは言え、布教や聖堂の装飾を目的として、早い時期からキリストや聖人を描いた画像がつくられてきた。西暦313年にローマ帝国の皇帝であるコンスタンティヌス1世(在位306~337年)によってキリスト教が公認された時にはすでにそうした画像が存在していたと考えられている。それがこれ以後、広まるのであった。
だが、こうした動向に対しては慎重論や反対もあった。4世紀後半から5世紀の前半にかけて活動した初期キリスト教会最大の教父であるアウグスティヌス(354~430年)も、神の姿を描くことに慎重な立場をとった一人とされる。アウグスティヌスはキリスト教の神学者ではあったが、その一方でギリシアの思想からも影響を受けており、とくにプラトンの思想を神秘主義的に解釈した新プラトン主義にも傾倒していた。
実はこの新プラトン主義が、目には見えない宗教的な真実が画像によって可視化されうるという考え方の成立に、大きく関わっている。こうした考え方が練り上げられるのと平行して聖なる画像は普及し、やがて6~7世紀になると教会も聖画像の存在を公に認めざるをえなくなった。人間を超越した存在である神の姿を、われわれの目にも見えるように可視化したイコン画と呼ばれる聖画像はこのようにして生み出されたのである。
このイコン画は、人の目には見えない存在に形を付与することによって見えるようにしたものであるために、神そのものの表現ではないと考えられた。つまりイコン画とは、不可視の存在である神を知覚可能なように類型化したものなのだ。そして神の類型であるイコンに向けられた祈りは、イコンを介して神自体に奉げられるとみなされた。
ゆえに、それは偶像崇拝にはあたらない。またイコンを描くという行為も、神から与えられたイメージの視覚化と考えられた。イコンの描き方には、キリスト教会によって定められた一定の決まりが存在し、画家たちはそれに従わなければならなかった。
たとえば神や聖人たちは、その神性を表すために、実在の人間には似せないようにされ、表情や陰影などの表現も控えめにされた。そして、何よりも神や聖人は正面から描かれるのである。その結果、イコン画に描かれた神や聖人たちの容貌は、どこか画一的・類型的・平面的であり、ゆえにわれわれがそこから「生き生き」とした感じを受けることはない。その代わりに、そうした表現がイコンに神聖さを与えるのである。
こうしたイコン画はビザンティン帝国を中心に広く普及したが、西ヨーロッパでは、そのビザンティン美術から大きな影響を受けながらも、それとはまた別の宗教美術が中世以後に展開する。とくに13世紀になるとフランスで、より実物の人間の姿に類似した神や聖人の像が制作され始める。それは、例えばフランスのランス大聖堂西正面扉口に設置された聖人彫像の身体や衣服に見られる立体性、あるいは14世紀のイタリアで活躍した画家ジョットが描いたキリストや聖人たちの三次元的な身体である。
つづくルネサンス期のイタリアでは、古典古代に制作された自然主義的かつ理想主義的な身体をもった彫像が、人体表現の範例とされた。結果として、神の姿も実物の人間の姿、解剖学的に正しい身体に似せられ、プロポーションも整えられてより美しい身体へと変貌させられていく。とりわけキリストの身体は優美で完璧でなければならないと考えられた。
キリストにふさわしい優美で完璧な身体とは、いかなるものか?イタリア・ルネサンスを代表する天才彫刻家ドナテッロ(1386~1466年)は、1410年代の前半に《十字架上のキリスト》を彫っているが、当時、ある者がこのキリストの体を農夫のようだと評したという逸話が遺されている。逸話の真偽は不明だが、現在もフィレンツェのサンタ・クローチェ聖堂にあるこの彫像を見れば、そのキリストの身体が労働で鍛えられた健全な農夫の肉体をそのまま写し取ったかのようなリアルさにあふれていることがわかる。おそらく問題視された一因は、この筋肉の表現にあるのであろう(言うまでもなく今日では、この彫像は名作とみなされている)。
要するに、この逸話が意味するところは、キリストの身体の優美さにはあまりに筋肉が付いた肉体よりもやや瘦身の方が好ましいということなのだろう。加えて、実物の人体に類似させ過ぎることは、完璧さに近づくどころか、逆にそれを卑近な肉体へと接近させてしまうことを意味している。最後に、西洋絵画史上、最も美しいキリストの身体のひとつを見てみよう。それは、17世紀にスペインで活動したバロック期を代表する天才画家ディエゴ・ベラスケス(1599~1660年)によって1632年に描かれた《十字架上のキリスト》(マドリード、プラド美術館)だ。まさに、これこそが優美にして完璧な神の身体である。