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アネモメトリ -風の手帖-

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#57

夏時間
― 上村博

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(2014.04.06公開)

まだ朝早いのに、もう明るい。日が長くなってきた。ちょうど先月末から、ヨーロッパでは夏時間(サマータイム)である。

夏時間になると、時計の針を1時間進める。つまり、それまで朝6時だったのが7時になり、夕方の4時だったのが5時になる。言い換えると、1時間分早起きをして、また1時間分帰宅時間が早くなる。
夏時間を設ける理由はなんだろう。すぐ思いつくのは、日が照っている間を仕事時間として有効に利用する、というものだろう。日の出が早くなるので、早起きをして、早く会社に行く。それはたしかに合理的に見える。とはいえ、夏には日の出が早くなるだけではない。他方で日の入りも遅くなる。すると逆に、いつもより1時間遅く会社に行って、1時間仕事を終えたとしても日照時間を有効に使っていることになるだろう。
それでは時計の針を1時間進める理由は何だろう。たとえば朝の涼しいうちに仕事ができることだろうか。実際、十年ほど前に日本でも再導入しようという議論があったとき、その主な動機は、涼しい時間に仕事をするほうが冷房が要らず、省エネにつながる、というものだったように覚えている。しかし、仕事後も自宅や、飲食店や商業・レジャー施設で冷房を使うなら、同じことではないだろうか。照明の節電も、よほど早寝をしない限りは照明機器をLEDに替えるほうが効果的だろう。さらにまた、ヨーロッパでは3〜4月の朝はまだまだ寒い。夏時間にすることで、寒いうちから仕事場に出かけるならば、冷房の節約どころか燃料を消費してしまうことになりかねない。

それでも夏時間になると、時計の針を1時間進めるのはどうしたわけだろう。やはりその理由は、明るいうちに仕事を終えたい、ということに尽きるのではないだろうか。
夕日を見ながら帰宅するのは、日本では到底無理な勤め人が多いだろう。しかしヨーロッパでは労働の感覚が違っている以上に(案外仕事好きのサラリーマンも多いのだが)、何よりも日の入りが随分遅い。晩の8時に会社を出ても、外はまだ十分に明るいのである。仕事後の時間がたっぷりあると、お金を使うことも増える。それは家族や友人と会食したり、コンサートや演劇に出かける機会でもある。
そしてまた「白い夜」というものもある。これは一晩中日が沈まない白夜ではなく、催しの呼び名である。最近は京都や東京でも「ニュイ・ブランシュ」(=白い夜)という催しがあるが、パリをはじめ、多くの都市では、一晩中街角で音楽が楽しめるイヴェントである。こちらの交差点ではジャズ、あちらの河岸では民謡の合唱、教会前の広場ではアフリカの太鼓とダンス。人の波がさざめきつつ集合し、分散し、街路を流れてゆく。夏時間は芸術の時間でもある。

しかし、文化芸術に触れる時間、あるいはそれも含めて消費経済を活性化させる時間として夏時間を考えても、まだ不十分だろう。
夏時間の魅力は、やはりそのゆったりとした夕べの時間そのものにある。ヨーロッパでは冬と夏の日照時間の差が激しい。春分の頃には日が暮れるのが目に見えて遅くなってゆく。そこに夏時間が始まり、一気に日没が遅くなる。夏時間への切り替えは気分まですっかり変えてしまう。いきなりゆったりした夕べの時間が手に入るのだ。さらに同じ頃に始まる復活祭の休日が最後の一押しをする。
「ソワレ」(=夕べ)は寂しいたそがれ時ではない。はかない残光でもない。いつまでも豊かに続く、明るい時間である。柔らかな光を受けた木立に、小鳥たちが飽くことなく鳴き交わす。緑の匂いの中、金色の空の下をそぞろ歩けば、時間が永遠に続くかのようだ。年齢を問わず、あらためて人生の可能性が無限に拡がる錯覚すら与えてくれる。生の抑揚をくっきりと意識させるもの、それが夏時間である。