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#179

干鱈の来た道(後)
― 大辻都

干鱈の来た道(後)

(2016.09.04公開)

応仁の乱やたび重なる天災で騒然としていた時代、若狭あたりと思しき海から京都に持ち込まれた干鱈が戦に出る兵士の保存食となったことは前回の原稿に記した。この目新しい食材は、武家社会を中心に認知され、江戸期を通じて全国に広まっていったという。
奇しくもほぼ同じ頃、北の海で獲れる同じこの干鱈を常食するようになったのが、熱帯のカリブ海でプランテーションの労働に従事していた黒人奴隷たちだ。
近代を通じてヨーロッパ列強の植民地だったこれらの島々に、今ではもちろん奴隷などいないが、島を歩いていると歴史の痕跡を残した意外なものに出くわすことがある。
カリブ海の島のひとつ、マルティニック島最大の町、フォール・ド・フランス。ここには、島の胃袋を満たす古くからの市場がある。奥行きが長く、屋根に覆われた作りこそヨーロッパ式だが、売られている食材や日用品はカリブ海でしかありえないラインナップだ。日本と違ってありとあらゆる種類のバナナ、マニオクやイニャムなど山芋のたぐい、もちろん肉や魚介から、琥珀色のカラパット油など土地独特のアロマオイルやラム酒、カラフルなマドラスチェックの伝統衣装まで。
そのなかで初めて魚売り場で見た時、しばらく正体がわからなかったものがある。塩をまぶされ幾層にも重ねられたぺちゃんこの何か。資料を調べたりしているうち、後からフランス語のmorue、すなわち干して塩漬けにした鱈だとわかった。フランス語圏のマルティニックだけでなく、近隣のグアドループや英語圏のジャマイカなどでも見た。
現在、塩鱈はレストランなどでも出てくる。鱈の身をほぐして小麦粉の衣に混ぜ込み、揚げたアクラ、玉ねぎやピーマンなどの香味野菜と和えたシクターユ、マニオク芋やアボカドとともにペースト状にしたフェロス……。材料は安価でも調理法にセンスがあり、また熱帯らしく爽やかで、どれもアジア系の人間にも食べやすい。
17世紀から19世紀にかけ、カリブ海のフランス植民地ははるか北方にあるカナダのニューファンドランド(テール・ヌーヴ)から塩鱈を輸入し、奴隷の食糧としていた。無賃で働かせる奴隷の食糧栽培のために貴重な土地を使いたくない。かといって炎天下で労働させるのに、タンパク質と塩分を摂らせる必要はある。同じフランスの領土であるカナダ産の鱈は、コスト・パフォーマンスの点で最良の奴隷食だったのである。
当時は鱈といえば、北の海にそれほど大量に生息し、容易に水揚げできた魚であった。15世紀終わりにイタリア人ジョン・カボットが発見し、間もなくサン・マロ出身のジャック・カルティエが上陸した当時のテール・ヌーヴ近海では、「海面が盛り上がるほど」大量の鱈が生息し、海に籠を入れて引き上げるだけでもう獲れたという眉唾の話も残っている。
たくさん獲れるだけでなく、鱈は寒風にさらして乾かすとかなり軽くなる。素干しにする場合もあれば、塩漬けにする場合もあった。これらは五年も日持ちがし、赤道を越えても腐らない。奴隷の食糧にこれ以上のものはなかったわけだ。
カリブ海のフランス植民地における奴隷の数は、18世紀にピークを迎える。しかしこの頃、イギリスとの間でくり返された戦争でフランスは敗北し、カナダの植民地の大方を失う。自国領土での鱈調達ができなくなり、新たな漁場として栄えはじめたニューイングランドからの輸入に頼るようになるが、奴隷の食糧である塩鱈の支払いがしばしば奴隷それじたいでおこなわれたという。すなわち、奴隷は塩鱈と交換される代用通貨となったのである。
シェイクスピアの『テンペスト』には、イギリスがアメリカ大陸およびカリブ海を舞台にフランスとしのぎを削っていた17世紀の時代背景が見え隠れするが、この戯曲に登場する憎まれっ子の奴隷キャリバンは、まさに臭いの強い「ストックフィッシュ」の比喩で表現される。
「ストックフィッシュ」とは、英語で干鱈のことだ。ここで言うストックとは「棒」、つまり直訳すれば、「棒鱈」ならぬ「棒魚」ということになる。他の言語を挙げれば、ポルトガル語でバカリャウ、スペイン語でバカラオ、イタリア語でバッカラ。当時のヨーロッパで生の鱈はほとんど食されず、これらの語はすべて「干した鱈」を意味するのが面白い。
また、マルティニック島出身のフランス語作家、パトリック・シャモワゾーの採録した島の口承民話「富をもたらすアクラ」では、死んだ母の遺した塩鱈料理、アクラを持った貧しい少年が、機知と計略によりアクラを次々より大きい財産に交換してゆき、最後に大きな富を得る。これを奴隷の側からの、植民地主義の交換と収奪システム(塩鱈→奴隷→砂糖)への痛烈な批判と読むこともできるかもしれない。
一方、現在あるカリブ海の塩鱈料理は、無賃労働のエネルギー源でしかなかった過去に逆襲するかのごとく、その繊細さと滋味で、味わう人の舌に悦びをあたえている。
あたかも、戦と飢饉をしのぐ保存食だった遠い日本の干鱈が、今では京都の芋棒はじめ、各地の伝統料理として愛されているのと示し合わせたかのようだ。
生存のための食が長い時間をかけ、その土地固有の料理へと転身する。文化とはそのようにして、すべての場所で花開いている。

写真提供:Shinobu Uchino