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#170

わらべうたの不思議
― 森田都紀

わらべ歌の不思議

(2016.07.03公開)

    「せっせっせーのよいよいよい。お寺の和尚さんが、かぼちゃの種を撒きました…」に始まるわらべうたをご存知だろうか?先日、公園で子どもたちがこの手遊びをしているのに遭遇した。数十年ぶりのことに懐かしく思い、耳を澄ませて歌を聞いてみると、驚いたことにわたしが幼いころ親しんだ歌詞とはずいぶん違う。子どもたちが歌っていたのは、

せっせっせーのよいよいよい。
お寺の和尚さんが、かぼちゃの種を撒きました。
芽が出てふくらんで、花が咲いたら枯れちゃって、
忍法使って空飛んで、東京タワーにぶつかって、
ぐるっとまわって、じゃんけんぽん!

という歌詞である。「花が咲いたら」で両手を使って花開く様子を見せたあと、かぼちゃの花は下向きになり枯れてしまうが、人差し指を握って忍法を使い、空を飛ぶのだ。そして勢い余り、東京タワーにぶつかって、両手をぐるぐるまわしてじゃんけんをするというもの。これに対して、かつてわたしが歌っていたのは次のような歌詞である。

せっせっせーのよいよいよい。
お寺の和尚さんが、かぼちゃの種を撒きました。
芽が出てふくらんで、花が咲いたら、
じゃんけんぽん!

歌詞の長さはずいぶん短く、「花が咲いたら」のあとすぐにじゃんけんをしたものだった。同じ手遊びであるはずなのに、ここまで違うものか。驚いて子どもたちに尋ねてみると、わたしが知っている歌詞はかれらのあいだでは“短縮バージョン”として扱われているという。それを聞き、わらべうたの多様性に驚かずにはいられなかった。
    わらべうたは本来的に、遊びのなかで無意識に歌われるものである。じゃんけんや大なわとびを始めれば自然と「じゃんけんぽいぽいどっち隠す、こっち隠す…」や「一羽のカラスがカーカー、二羽のニワトリコケコッコ…」のように歌い出してしまうものだ。歌声は遊びをする身体と結びついているから、子どもたちは歌詞の意味などほとんど考えていない。だから、いざ歌ってみると歌詞がうろ覚えであったり、ほかの言葉に置き換えられていたり、その地域の方言やアクセントを取り込んでいたりする。そうして遊びが伝播していく過程で、その時代その地域の子どもたちに無理なく受け入れられるように、特有の表現に変容していくのだ。歌には無数のバリエーションができ、それらがまた切り貼りされ、わらべうたは姿を変える。わらべうたというものは集団のなかで作り変えられ、口頭で伝播していくのであって、特定の作曲家によって作られたというような性質のものではないのだろう。だから、わらべうたを紐解くと、その背景にそれぞれの子どもの生活環境が浮かび上がってくる。言い換えれば、子どもは自分の属する共同体の歴史をわらべうたなどの遊びを通して学んでいるのである。
    近年、多くのわらべうたが楽譜やCDで発行されている。音楽教科書にも取り上げられ、わらべうたのもつ豊かな音楽性も注目されるようになった。しかし、楽譜やCDになっているものは、いわば「決定版*1」のようなものだと言え、子どもたちのなかで息づいてきたものとは性質が違う。大人から子どもへ教えられることにより、わらべうたの姿が一つに固定化されてしまうという一面もあるから難しい。メディアが発達し、子どもの遊びが全国一律になってきているが、子どもたちが集団との関わりを通して自由に創造できる遊びの重要性をあらためて感じる。
    時代によって、地域によって、学校や公園にしたがって、無数の違った歌い方をするという、わらべうたのあり方のおおらかさ。冒頭の手遊びも、いずれ「東京タワー」ではなく「スカイツリー」などと歌われたりするのだろうか。

*1 ここでの指摘は民族音楽学者の小泉文夫による。わらべうたに関する小泉の見解は『音楽の根源にあるもの』(青土社、1977年/平凡社ライブラリー、1994年)に詳しい。