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#165

神は細部に宿る
― 野村朋弘

神は細部に宿る

(2016.05.29公開)

先日の5月24日まで、東京都美術館は大いに賑わっていた。「生誕300年記念 若冲展」が行なわれていたためである。代表作が一堂に会する初めの展示ということで多くの入館者が訪れ、展示内容とともに待ち時間(320分待ちなど!!)もニュースに取り上げられていた。
若冲本人の詞である「具眼の士を千年待つ」の通り、多くの人々に愛され喜んでいるだろうか。
今回のコラムのタイトルである「神は細部に宿る」は、本来は建築デザインに関する言葉だそうだが、若冲の作品にも相応しい言葉といえよう。

しかし、今回のコラムは若冲の作品そのもの、ではない。装潢についてとりあげてみたい。
装潢とは「そうこう」と読む。なかなか馴染みのない言葉かも知れない。若冲をはじめ、狩野派や琳派など日本の絵画作品にみられる掛け軸や屏風、襖や額を仕立てることを表装というが、古くは装潢と呼ばれた。
布や紙で「裏打ち」を行い、作品を保護し、装飾する。今では表具といった方が馴染みがあるだろう。
装潢の技術は古く、奈良時代には中国から輸入されている。例えば天平宝字元年(757)に定められた『養老律令』の巻第二職員令の図書寮の項目では、寮の職掌として、経典書籍のことや、国史を編纂することがあげられているが、書籍の書写や装潢も記されている。装とは、装丁、潢とは用紙の染織のことを指す。当初は経典や仏画を保存したり装飾するための技術として大陸から渡ってきたものである。経典を作成する者は「装潢手」と呼ばれていた。今では、国宝・重要文化財などの文化財を保存・修復を行う技術者が「装潢師」と呼ばれている。

こうした表装の技術を持つ者は中世に至り、表褙師と呼ばれる職人となる。表褙師は今日の表具師、表具屋へとつながる。表具の職人が成立するには、様々な要因があるものの、最大の要因は表具の需要である。室町時代くらいから茶の湯の隆興とともに、鑑賞用の表具(掛け軸など)が珍重されたためである。当時から高価な作品には、見合った表装が必要不可欠であった。

今日の表具師は、現代の作家の作品を表装し、また文化財を表装するのを生業とする。表具師にもとめられるのは「見立て」といえよう。作品に相応しい表装を思案し、発注主の意向も酌み取りつつ仕立てていく。
東京都美術館の若冲展でもそうだが、他の美術館・博物館で様々な作品を見る機会がある。そうした際、ついつい描かれた作品そのものだけに眼を向けていないだろうか。実際に展示図録を見ても、作品部分だけが示される場合も多い。しかし、日本美術において表装はその作品の価値を高めるとともに、何より作品を50年、100年、更には1000年の先へと保存・維持する意義も持っている。重要なのは表装していく際に行なわれる「裏打ち」である。作品の裏側に紙や布を貼り補強するのだ。この技術によってこそ、作品は命を長らえていく。若冲のいう「具眼の士を千年待つ」のも、作品が壊れてしまえば、元も子もない。
卓越した保存・維持技術と、作品に見合った表装。それが表具である。

今回示した写真は、江戸時代の天保年間から続く経新堂稲崎の稲崎昌仁さんの表具である。一番下から作品の端、小縁(こべり)、大縁(おおべり)、横椽(よこふち)である。縁は屏風を開閉する際に作品を傷めないように保護をしている。また、椽は山折りとなる部分から奥に向かって少しずつ薄くなっていく。これは屏風の開閉をしやすくための心配りといえよう。こうした細部にこだわった仕立てがあってこそ、作品は輝きを益す。まさに「神は細部に宿る」といえよう。
話を元に戻して、絵画作品を鑑賞する際、我々はついつい作品そのものにだけに目を向けがちである。しかし表装もとても重要なのだ。作家だけではなく、それを支える職人があってこそ、我々は長らく美術作品を見ることが出来る。今度、美術館や博物館などで美術作品に相対する際は、ぜひ表具にも興味を持ってみて貰いたい。これもまた継承されてきた技術であり、文化なのだ。