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アネモメトリ -風の手帖-

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#18

消しゴム
― 福田尚代

(2014.05.05公開)

自らを捧げながら、言葉と景色を明滅させ、浄化してゆく。ノートや画用紙の上、筆箱や手のひらの中……、白い欠片たちは世界の端をほどき、まもり、手放し、ゆっくりと小さくなってゆく。庭に降りしきり、事物を包み、やがて消え去る雪のようだ。消しゴムとは、〈余白〉が具現化した姿かもしれない。

小学五年生の春、友だちの部屋へ遊びに行くと、使いかけの消しゴムがたくさん硬くなっていた。「いつも途中で飽きてしまって……」、恥ずかしそうに友だちが呟いた時、咄嗟に「譲ってほしい」と答えてしまった。勿体ないというような立派な理由ではなく、時間の静止した佇まいに無性に惹きつけられたのだと思う。彼女は喜んでそれらを集めて包んでくれた。以来、話を聞いた友人たち、上級生や下級生から、〈もう使わない消しゴム〉を手渡されるようになった。机の奥で眠る消しゴムを疎んじつつも、どこかで気にかけていた人たちである。透明なインクで書かれた手紙にも似た密やかな賜物が、中学を卒業するまで途切れることなく届いた。託された消しゴムは、私が最後まで使うべきだったのだろうか。でもなぜか、そうではないと感じて、そっと大切にしまっておいた。ひとつひとつが美しかった。

高校生になると、時間と心の殆どを美術へそそぐようになった。油画科のある大学へ進み、卒業し、何年も逡巡をかさねてから、突然、まっさらな消しゴムに彫刻をはじめた。無意識の衝動とは言え、なぜ再び消しゴムを選びとったのだろう。子供の頃は、皆の〈余白〉の欠片を幾らでも引き受けることができた。一方、消しゴムを彫りはじめた時は、自分自身の〈余白〉と対峙しようとしていたのかもしれない。芸術が、〈余白〉つまり〈この世界ではない別の場所〉と深くかかわることであるなら、その場所へ往き来できる自分だけの通路を見つけ出さなければならない。思えば消しゴムは、最初から私には余白の象徴であり、別の場所への入口でもあった。

失われていたはずの記憶が、ひとつずつ消しゴムに彫刻されていった。幼い頃、病気になるたびに寝かされた寝台、かたわらの洗面器、氷枕、桃の缶詰。その夢枕に現れた教室の黒板、白墨、散らばった墓標、無数の小舟、銀河……、これらが少しずつ部屋に広がってゆく。最後に子供部屋の蛍光灯のスイッチを削り、天井から吊るすと、ほんものそっくりに見えた。うっかり引っ張ったら、床にならんだ彫刻がパッと消えてしまいそうだ。ふと、作品とは、灯りがともっている間だけの存在であり、スイッチが切られた途端に消滅するのではないか、そんな錯覚に実感が伴う。だが、それはある意味ほんとうなのだ。膨大な時間の流れの中の、生まれてから消え去るまでの束の間の、さらにこの瞬間、ついに〈実体〉を得て煌めく物たち。私にとって作品とは、あるいは血肉をもった生とは、そういうことだったのだ。

消しゴムの本質のひとつは〈静けさ〉にある。どんなに強く擦っても、やかましく鳴り響いたりはしない。言葉や景色は吸い込まれ、沈黙と空白が差し出される。しかしごく稀にインクが沁み込み、端が青く鮮やかに染まった消しゴムに逢うと、海と波と凪を垣間見たような思いがする。実は余白には、果てしない海原が広がっているのではないか。泣いているのではないか、許しているのではないか。そんなことを思いながら、消しゴムから残像を彫り起こしていった。

ひとつの寝台を彫刻してから、十二年以上の月日が流れた。美術家としてさまざまな素材をあつかってきたが、とりわけ消しゴムとは長いつきあいになる。細い線だけになってしまった最近の作品は、それでもまだ物質としての姿をかろうじて保ち、作ることと作らないこと、在ることと無いことの意味を問いかけてくる。今の私には、彫刻とは形作ることではなく、削ぎ落とし、形を手放すための行為である。最大の余白であり続ける〈死〉に近づくための、私なりの方法なのだ。

ところで、子供たちから託された消しゴムは、すっかりそのままの姿で今も私の手許にある。あらためて数えてみると三百個程あり、鉛筆で小さな穴が幾つもあけられていた。もしかしたら彼女たちも、授業中にコツコツと井戸を掘っていたのかもしれない。水脈のしるべを探し、地底に映る星を求めていたのかもしれない。これらをどうするのか、どうもしないのか、じつはまだ決めあぐねている。このまま制作を続けるうちに、自然と答えが訪れるだろう。ほんとうに困った時、嬉しい時、哀しい時、愛する時、必要な言葉と景色は、消しゴムにある。

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消しゴムのスイッチのスナップ写真 2002

2撮影:平田かい

《漂着物》926個の彫刻された消しゴム2001―2013
小出由紀子事務所での展示風景 photo: Kai Hirata
※さまざまな形が彫刻されていた頃

3撮影:北岡慎也

《残像:氷》2013 〈本の梯子〉展での展示風景 photo: Shinya Kitaoka
※近年は線だけをのこして彫刻されている

福田尚代(ふくだ・なおよ)
美術家。〈物〉と〈物ではないもの〉の距離を探りながら、書物や言葉にまつわる事物への一見個人的な行為を美術作品としている。これまでに、名刺や郵便物や書物の活字を細かな刺繍で消してゆく〈巡礼〉シリーズ、岩波文庫のグラシン紙カバーに微かに写った文字を見る〈言葉の精霊〉、本のしおり紐を丹念に指先でほぐした〈書物の魂、あるいは雲〉、色鉛筆の芯やけしごむや原稿用紙などへの彫刻、等々。また、未知の言葉の組み合わせを見出す手法として、回文の探究を続けている。私家版として『仮名齧り』『言追い牡蠣』『飛行縫う戀』『寡婦と香草』など。
1988年、かねこ・あーとGI(東京)にて初個展を開催。以降、Gallery覚、小出由紀子事務所などで個展。主なグループ展に「秘密の湖」ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション(東京、2013年)、「アーティスト・ファイル2010―現代の作家たち」 国立新美術館(東京、2010年)など多数。現在、東京都現代美術館にてグループ展「MOTアニュアル2014 フラグメント−− 未完のはじまり」に出展中(2014年5月11日まで)。作品集『福田尚代作品集2001-2013』(小出由紀子事務所)が近日刊行予定。